年度末の桜

課題〔引越〕or〔花〕

 桜は散りながら、まだつぼみを膨らませている。
 はい、咲きました。じゃ、散りましょう、なんて、すべてがそんなにキッチリ分けられっこないんだ。

 あの人の辞令はここから200km先の部署。何も言ってないのに、何も伝えてないのに、あと2週間で顔も見られなくなるなんて、アリエナイ!
 もし異動対象だったらどうしようなんて思ってはいたけど、たった2年でなんて予想外の速さに動揺する。

 廊下で、給湯室で、会う人会う人異動の話をしている。
――寂しくなりますよ、近くに来たら寄ってくださいね――
 そんな挨拶している場合じゃないのに、薄く笑って会釈する時間が多くなる。その間にも、あの人と共有できる時間は減ってゆく。

「木村さん」
 話しかけたあの人の顔が見られない自分。残り少ない時間が悲しくて、残り少ない時間なのに不機嫌になってしまう矛盾にまた腹が立ってしまう。あの人は引継ぎやら荷物整理で慌しく動いていて、私が返事できないことも気に留めている暇がなく、しばらく置いてまた私を呼んだ。
「あ、はい」
「これね、下ろしちゃったばっかりなんだ、まさか異動だなんて思ってなかったからさ。良かったら使って」
 ボールペンやらマーカーやら、机の上にグチャっと置かれた筆記具。あの人にちょっと関わっただけのモノたち。
「解りました」
 さっきとは違う居心地の悪さで、席を外した。なんか変だけど、それに触ったら泣けそうだった。

 非常階段の踊り場から身を乗り出して見上げると、新しすぎて近寄りがたい青空があった。春だ春だと浮かれる空気が私を押し戻す。フロアの隅で山積に捨てられた古いモノたちのように。

「行かないでよ」

 口に出した言葉は、ふわり桜の花びらに乗って、お生憎様とくるりアスファルトに落ちる。

「のんきなもんだなぁ、残留組は」

 あの人がサボってる私を見つけて嘯いた。
「ご栄転なんだから、文句言わないでくださいよ」
「わかんないぞ? 左遷かもしんないし」
 あの人も身を乗り出して青空を見やる。
「いい天気だな。……あぁ、木村さん、俺さ、来週末に引越するんだけど空いてない?」
 はじめて行く部屋が引き払う日なんてなんとも悲しすぎる展開だ。
「みんな来るんですか?」
「いや、肉体労働は引越し屋がするから。どっちかっつーと、リサイクル? お宝あるかもよ」
「お宝ですかぁ」
 その思い出の品が余計私を寂しくさせることに、気付かないほどもう無邪気な年頃でもない。

「気乗りしないみたいだな」
「あ、いえその」
 行きたいけど、せめて時間を共有したいけど、どう答えればいいんだろう。

「行くなったって行くしかないだろ? それに逢えない距離じゃないって」

 あの人は私の肩をポンと叩いて、鍵を渡した。
「来週末、新しい鍵と交換……」
 非常階段を降りる音がカンカン響いて言葉の最後が聞き取れなかったけれど、心で余韻が騒いでる。

 私が抱えたつぼみは、咲く日が決まった。

〔了〕


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