由来

課題〔名前〕

「ママ。わたしのなまえはどうやってつけたの?」
 おいでなさった、と思った。私は前もって考えてあったのだ。

 8年前、その居酒屋でずらりと並んだ短冊を見ながら私たちは考えていた。このまあるいお腹の中の住人が、女の子なのは解っていた。
「モノの本によると、大きくなっていじめられるような突飛な名前は付けない方がいいって言うのよ。あと、年寄りになってあんまりハイカラなのもって」
「ふぅん。まぁ俺たちが呼んでて気恥ずかしい名前じゃなきゃいいんだろう」
 お腹の中にいるときから名前を付けて呼ぶと胎教に良いと言うテレビを見て以来、私は何かにつけ名前を考えるようになっていた。いろいろと名前は出すものの、コレといった候補が決まらない。ぐるりと店内に貼られた200はありそうな日本酒の名前。よく見るとやはり花の名前が多い。そうか、花なら昔からあるし年をとっても似合いそうだ。
「桜……。桜がいい。桜にしよう」
 私はもう、それしかないと思って嬉しくなった。
「なんで、桜って思ったの?」
「酒の名前で一番多かったから」
「はははは。いつか学校で由来はって聞かれたときにも、飲んでたら酒の名前で一番多かったからって答えるのか?」
 そうか……、でも桜は譲れないぞ。もう決めてしまったんだから。

「まぁ、寅さんじゃあるまいし。随分可愛い名前なのねぇ」
 母にはそう言われたけど、私にしてみれば嫁に行ってしまえば持たせられるのは名前だけなのだし、どうせなら無難な名前より良い名前と言ってもらえる方が親として誇らしいではないか、と思った。

 私はそれから「この日」を意識していた。

 数ヵ月後、今にもはちきれそうなお腹を抱え産婦人科の帰り道に散歩をしていると、陽光にゆらゆらと花房を躍らせながら、桜が春を告げていた。
 でも、桜って散ったら葉桜になって毛虫も落ちて来るんだよな。昔よくプールの更衣室のすのこの下で、もぞもぞ動いてて誰かが絶叫していたっけ。アスファルトには食べられないさくらんぼが一杯潰れてて汚くなってたり、花も葉っぱもよく見るとイビツなのもあるんだよな。冬は丸裸だし。

 それでも春の1、2週間、一体どれほどの人を感動させるんだろうか。何万人もの人が桜に託けて花見をし、愛で、それだけで幸せになれる。
 完全じゃなくてもいい。
 あちこち器量が悪くてもいい。
 毎日綺麗じゃなくてもいい。
 ここっていう時には、これだけ人を感動させられる。
 それでALL-RIGHTじゃないか。
 丸ごとで人を幸せに出来る、なんて素晴らしいんだろう。

 この花の名前を一生使う娘が羨ましかった。

「ふぅん。なんか、むずかしい」
 娘は複雑な顔をして書き写していたノートをパタンと閉じ、冷蔵庫のドアを開けていた。やっぱりキミには「飲み屋で決めた」の方がキャッチーだったかもしれないね。
 でも、ママはやっぱりその名前が羨ましい。
 自慢の名前と、由来なんだよ。

〔了〕


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