歪んだオセロ

vol. 7

 佐藤には桐原の護衛に見つからないよう、少し離れたところで見張らせていた。何かあったらすぐ知らせるように無線を入れて、俺は志穂の病室に向かった。病室の前には林田がいた。
「何の用ですか、松坂刑事」
「お前が欲しかったものは、何処にも無いぞ」
 林田は、顔色を変えた。
「お前もこれから加藤に消されるんだ。ヘマをした村上のようにな」
「……何の事だ」
 いきがる林田は不憫ですらあった。
「志穂が知りすぎたのか、お前が色気を出しすぎたのかは知らんが、組の心臓部を女に任せたのが間違いだったな。男よりよっぽど複雑な生きモンだ」
 林田は俺にナイフを向け、襲いかかってきた。顔の前まで来た刃先を、なんとか手首を掴んで捻りあげながら、四方投げで床に叩きつける。咄嗟に手首を踏みつけると、林田はひと呻きしてやっとナイフを放した。
「どうせ消されるんだ。お前、人の死に様を嫌ってほど見ただろう? ああなるんだぜ、林田……」
「……ぬうおおおおぉぉぉッ!」
 林田は恐怖で奇声を発していた。
「吐いちまえ。お前みたいな外道が死ぬまでにする事は、今までした事を全部吐いて、呪われながら生きる事なんだよっ!」
 やっと来た部下が、暴れている林田に猿轡のタオルを咬ませて連行していく。まだ加藤に帳簿が見つかった事を知られては困る。それで桐原に連絡されてしまっては、意味が無いのだ。 


「ほぉ。それは良かったじゃないか」
 豪華な個室には色とりどりの花束が置かれ、5人ほどの厳つい男たちが警備をしていた。涼子から志穂の意識が戻ったと聞くと、桐原はその中の一番大きな男に目配せをし、その男は退室した。
「なぁ、涼子。お前はこれからもずっと私の主治医であり、繋がれた可愛い子犬だ」
 そう言いながら涼子の腕を舐るように撫でたかと思うと、いきなり強い力で手首を掴み、白衣の袖を捲り上げた。
「なっ、何を……!」
「やっぱり……。お前、打ってないんだね」
 4人の男が涼子を抑えつける。
「いやあぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
 叫ぶ涼子に桐原は冷酷に微笑む。
「ここには誰も来ないさ。院長にも土産は渡してあるのでね。さぁ、久しぶりに私が打ってあげよう。気持ちよくなれるぞ。大人しくしておいで……」

「そこまでだ! 安西!!」
 思いきりドアを蹴破り、襲いかかる男どもを佐藤が投げ飛ばす間に、俺は涼子を桐原から奪った。先に出ていった大きな男は、すでに廊下で蹲っている。
「松坂……。お前が俺の可愛い子犬を……」
「馬鹿野郎、何が子犬だ。シャブ漬にすりゃ、女は犬か。桜井医師のボディチェックをしなかったのは、お前の最大のミスだな」
 俺は涼子の後ろ襟から小型マイクを外した。
「あ……」
「言うと、余計緊張させてしまうからね。すまない」
 涼子は、一気に力が抜けて、その場に座りこんだ。
「お前のお喋りは全て録音されていると言うことだ。加藤の貸金庫からお前の名前が書かれた帳簿も出てきた。終わりだな、安西」
 同じ頃、柴田は加藤の事務所に踏みこんでいた。帳簿が見つかってしまっては、今更何も言えないはずだ。

 遼子は薬の地獄から逃れるために、志穂が出した「死体を埋めれば店も薬もやめさせてやる」という条件を受け入れ、埋め終った後、林田に殺されたのだった。


 一週間後、志穂の意識が回復した。
「どうせ捕まるなら、あのまま死んじゃっても良かったのにさ」
 志穂は悪態をつきながら、ちらと俺を見た。
「ふん。瑞希って女は、いつだってあたしより客がついて。シャブに溺れてるくせにいい子で、大っ嫌いだったのよ」
「何故、林田に隠し場所を教えなかった」
「だって、教えちゃったらいつ捨てられるかわかんないじゃない。あの人は、私がその番号を持っている間は私を捨てられないのよ」
 それは、悪魔のような微笑だった。
「あーあ。折角瑞希もいなくなって、No.1にもなったし。一発逆転って感じだったのにさぁ」
 握った拳の行き場のなさで、ますます力を込めるしかなかった。ここが病室でなかったら、こいつが女じゃなかったら、俺はどうしていただろうか。

「どうして黄色い薔薇を」
「花言葉は嫉妬よ。あのゴミタメみたいな世界で凛としてる瑞希に、私からの手向けの花を、自分で手向けさせたのよ」
 そう言い捨てると志穂は天を向き、目を見開き、狂ったように高笑いした。その笑い声は、病室を背にした後まで続いていた。


「孝さん!」
 病院を出ると、白衣を翻したもう一人のRYOKOが追いかけてきた。
「納骨に行くのね」
「ああ」
「今終わったの、着替えてくるから私も連れてって」
「構わないよ」
 遼子が居た施設を探し出したところ、その併設された教会に引き取ってもらえる事になったのだ。涼子は持参した白のカサブランカを抱え、祈るように顔を近づけながら助手席に座った。車の中に百合の香りが溢れる。

 夕暮れの墓地は誰もいなかった。その静けさは、俺たちの長い戦いが終わった安堵の様に、ゆっくりと横たわっている。オレンジ色の墓地の中で、大輪の百合と、それを捧げる彼女の二の腕が、一際白く浮かび上がっていた。
「遼子さん……。やっと、彼は貴女を探し出したのよ。誉めてあげてね」

 欲と妬みで歪んでしまった真っ黒い世界に、巻き込まれてしまった遼子。歪んだ黒い駒に挟まれながら、何度ひっくり返されても、白いままで居続けようとした遼子。そんな遼子の眩しさに、人は打たれ、また嫉妬していった。
 そして、勇気あるもう一つの白い駒が現れたとき、その暗黒は全て白になった。

「君のおかげだ」
「駄目よ、遼子さんが見てるわ」
「……いいんだ、紹介するよ、俺の涼子だ」
 離れた唇に吹く風が、甘く熱く流れていく。

 夏だな、と思った。

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