歪んだオセロ

vol. 2

 村上と言う死体の男は、遼子の店によく出入りしていたチンピラだった。死因は刺殺。背後から首を切られていた。
「おい、村上が発見されたって?」
 柴田が慌てて飛び込んできた。
「ああ、瑞希の下からな」
「……それは……」
 柴田の言いたい事は解る。だか、それは不可能だろう。あの、か細い遼子が190もあるような村上を一人で殺して埋めるなんて。遼子の袖口に土がついていたのは、あの現場では自然なことだ。ただ、遼子が穴を掘ったとしたら「腕まくり」は説明がつくのだ……。
 俺は、遼子は埋めたかも知れないが、殺しはしていないと思っていた。証拠が欲しくて、監察医の元へ行った。その医者は遼子の解剖もした女医だった。

「お待たせしました」
 白衣を直しながら、桜田医師が俺に挨拶をした。
「村上のことなんですが……」
「ちょっとごめんなさいね、珈琲飲ませて。術後でヘロヘロなの」
 唐突に話そうとする俺に少しおどけたように笑いかけ、医師は自販機で珈琲を2個買い、ひとつを俺に手渡した。
「はい」
「あ、すいません」
 手渡されたコーヒーを右手に、左手でポケットを弄る俺を制しながら、桜田医師はにっこり笑って言った。
「村上を刺したのは、身長170p以上よ。それが知りたかったんでしょ?」

 村上の傷は、右首を下から15度ぐらいの角度で切られていた。
「もし、村上が座っていたら、その説はどうなるんでしょうか」
「村上の左肩から腹部に、転倒によって起こる内出血があったの。座ってたら、お腹にそんなモノ出来ないから、立ったまま転倒したとしか考えられないわ。それに、腕を伸ばして刺したとしても、伸ばして刺すのと曲げて刺すのでは力の入り具合が違うから、彼女の手であそこまで深くは刺せないわね……」
 その桜井女医の話に、俺は職務を忘れて顔には出さないが喜んでいた。
「何か妬けちゃうわね、亡くなった方なのに……。愛してるのね、松坂さん」

「……ありがとうございました」
 返事をする事が出来なかった。遼子はもういない。絶対、村上を殺した奴が、遼子も殺ったのだ。そいつはまだ、のほほんと生きている。
 感傷に浸っている余裕はない。 


 柴田が村上を追っていたのは、村上のいる組が麻薬を売った金である政治家に献金をしている、と言うものだった。
「あいつは運び屋だったんだが、最近しくじったらしいんだ」
 柴田は悔しそうに言う。捕まえて吐かせれば、そのルートがすべて明らかになったのにと。特捜は、あと一息で家宅捜索まで行けると踏んでいたらしい。だが、この死体発見で、やったのを全部村上のせいにして逃げるのではないかというのだ。

「すまなかったな、元特捜の俺が足を引っ張って」
 柴田は、はっとして大げさに首を振った。
「そんなつもりじゃ……。お前は俺なんかよりよっぽど優秀な特捜だよ」
 そうだ。俺が特捜の刑事として、人の命を事件の一端にしか感じられない人間だったから、遼子は俺の元を去ったのだ。そして、去ってしまったあいつを追うことも出来なかった。半ば自棄になって容疑者を病院送りにした挙句、特捜を降りた。
 情けない男なのだ、俺は。

 ばつの悪くなった柴田は、話を変えてきた。
「哲哉は、どうやら村上を手伝っていたらしいぞ」
「遼子の弟か!」
 そうか……、遼子は弟を出されればなんでもする女だ。溺愛していた。実は弟の借金を返していたのかもしれない。


 哲哉は、本当にヒモをやっていた。訪ねた時は女だけがいて、その女も警察が来ることには馴れていた。
「帰って来たのは4日前よぉーー。どこ行ったかなんて知らないわよ」
 目を合わせず、のらりくらりとはぐらかしていく。
「惚れてんのか、澤田に」
「腐れ縁よぉーー、あいつ殴ったりしないし、だまーって居るだけ」
 自分は何も知らないことをにおわせながら髪をかきあげると、額の際に殴られたような跡が見えた。やはり女は哲哉を庇っている。

「そうか。……身体だけは、大切にするんだぞ」
 俺はその跡を見ながら声をかけて、立ち去ろうとした。
「危ないッ!!!」
 振りかえった俺は、ナイフを握る哲哉を間一髪で避けて腹を蹴り、外で待っていた同行の部下に手錠をかけさせた。哲哉は女を睨みつけながら連行され、女はその間ずっと目を瞑っていた。

「ありがとう。これで良かったのか」
「あたしみたいな女に、優しいこと言ってくれてさ……。久しぶりだったから」
 寂しい女だった。この女も、そして遼子も。


 取調室で悪態をつく哲哉は、遺骨を引取に来た哲哉とは別人の様だった。
「俺は何も知らねぇんだよ!! ただ車出しただけなんだよっ!!」
 机を蹴り、椅子を蹴る哲哉に取調官も辟易していた。俺は柴田に同室を頼んだ。
「うーーん、コウさんの頼みでもなぁ……」
「特捜の邪魔はしない、ただ、そこから殺しの情報が欲しい」
「ったく……、部長には内緒だぜ」
 部屋に入ってきた俺の顔を見て、哲哉は舌打ちをした。

「これが遼子の大切な弟だとはなぁ、澤田さんよぉ!」
 机を壊さんばかりに叩きつける手で、灰皿が舞う。
「コウさん、ダメだって」
 灰皿を拾いながら柴田が宥め、俺は憮然として椅子に座り哲哉を見据えて煙草に火をつけた。

「姉さんの死体はな、白いコートを開けると、中は真っ赤でな。左胸からへそに向かって深く刺したまま捻り切られてんだよ。肉をよ、捻じ切るってよ、すげえ力が要るんだぜ。まだ、そんときゃ遼子は生きてたんだ、生きて自分の体にナイフ刺されて、それが腹へ動いて行くのが解ってたんだよ。その恐怖、想像できるか? なぁ、なぁ!! おら!! その出来の悪い頭で想像してみろ!! 小さい時からずっと庇ってきてくれた姉さんの死に様を想像しろ!! 澤田!!」

 哲哉は、ガタガタと震え始めた。ようやく自分の小さい頃や、姉の素顔を思い出したのか。そしてその姉が、どうやって殺されたのか、総てが実感されていくようだった。
「知ってること全部話せ。姉さん成仏させられんのはお前だけだぞ」
 哲哉は殺されると言った。牢屋に放り込んでおくことを約束して、少しずつ哲哉は話し始めた。

「村上さんは、よく姉さんの店に行ってたらしいっす。元気にしてたぞって言ってましたから」
「そこで誰かに会ったとか、そんな話はしていなかったか?」
 きっとそこでルートの話もしていたはずだ。いくら村上が格下でも、一度ぐらい幹部が顔を出しても不思議ではないだろう。まして遼子の店なら、口封じの可能性もある。
「確か……、村上さんが組長に誉められたって……。そん時、すげえ人が来たって……、安西って言ったかな」
「安西?! 本当に安西って言ったんだな?!」
「本当っすよ、ダチと同じ苗字だったから……」
 今まで黙っていた柴田が突然叫び、哲哉は勢いに怖気づきながら答えた。
「安西洋平だ、しっぽ出したぜ! あんにゃろうっ!」
 柴田は慌てて部署に戻った。その男は、ある政治家の第3秘書だった。

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