Sunset-blues

letter 0

 午後4時。
 私は最初にこの店に入る。私服のまま、おもむろに掃き掃除をするのが日課だ。一応、店を出る前に掃除はしていくのだが、盛りあがったお客さまがギリギリまでいらしたりすると、掃除をするのも失礼で、結局丁寧には出来ない。
 ある程度、埃っぽくなくなってから拭き掃除をして、最後にグラスだ。

 バーテンダーは、グラスだけ拭いてカクテルをつくっていればそれでいい、という者もいるが私はこの時間が好きだ。自分で作った空間に、ホステスやお客さまが色をのせてゆく。それは私の喜びなのだ。だから私は小さい店にこだわる。
 昔、大きい店に引きぬかれて、掃除していたら言われたことがあった。
「若手が見せ付けかって言うから、勘弁してくれ」
 以来私に掃除をさせてくれるところが、就職の条件と言うわけだ。

 午後5時。
「おはようございます」
「おはようございます。今日は冷えますね」
「そうねぇ。これから客足が鈍るわねぇ、何か考えないと」
 芙美子ママはそうやってカウンターに座り、夕刊を読む。いつも早々とやってくるのだが、化粧は開店20分前だ。私もぎりぎりになって着替えるので、開店前に来たお客様に、同じ家から出勤してんじゃないかと冷やかされた事もある。

 なんせ、同伴、と言うことをしない人。
「そういうのは若い子に任せておくわぁ。今更おばちゃんと同伴したいなんて物好きもいないわよ」
 ママは言うのだが、どんな誘いも見事にかわすので、いつかママと同伴する、と通う客も少なくないのだ。

 ママの商戦が半分。そして、ライフワークでやっている介護の仕事があるから、と言うのは私しか知らない。
「母に何もしてやれなかったからね」
 週何回かデイサービスのヘルパーをしている。素に戻れるから、とママは笑う。

 私は、芙美子ママが新人でこの世界に入った時、その店で働いていた。当時、店はママとチイママが仕切っていて芙美子さんはヘルプに入るか、二人ともいない時の穴埋めだった。
「絶対、私目当てで来る客で一杯にして見せるわ」
 芙美子さんは2年の間に公言通り、No1となって店を出ていった。

 それから懸命に働いて、やっとお母さんを呼び寄せようかと思った矢先に、葬式も終わったと風の便りで聞いたそうだ。家族からは連絡もなかった。ホステスをしているだけで、噂されるような田舎から飛びだしたきりだった。水商売を恨んだ事もあったらしい。

 それから、いろんな店を渡り歩き、私も流れ歩いた。
 そろそろいい年だし、ホステスのいない静かなバーをやったら、と声をかける人はいたが、やっぱりこの華やかな世界に、いらないと言われるまでは、傍で見ていたいと思った。そんな時に芙美子ママに声をかけられた。
「まこちゃんいてくれたら、それだけで3割増だわ、うちの店」
「芙美子さんはお世辞が上手ですからね」
 そうやって、私はこの店に来た。当然条件はクリアだ。

 気心の知れたもの同士で、やっていくのは楽しい。
 芙美子ママの手首にがっちり残ってしまった傷は、アンティークの時計が隠してくれるけれど、それは惚れ切った女の勲章だとママは笑う。そんな気風のよさは、時に客に灰皿を投げ、時にテーブルの上でヘネシーをラッパ飲みしたりするのだが……。
 何故か、憎めない得な性分なのだ。

「そろそろ40分ですよ」
「あら、そうね支度しなくちゃ」
 ママが着替える頃、ホステスさん達がやってくる。
「おはようございまぁす。凄い寒くてくんのやんなっちゃったぁ」
「ははは、翠さん来ないと、お客さん帰ってしまいますから」
「まこちゃん、いつも上手いんだからぁ」
「そりゃ、ママ直伝ですからね。さぁ、私も着替えますか」

 午後6時。
『club letter』 開店。
 店の名前は芙美子の「ふみ」を洒落てママが付けた。事実、ここにはいろんな人がいろんな話を残していく。言いたくて言えないことをグラスに浮かべて飲み干し、溜息の色をしたインクで綴られた置き手紙。それを読みたくて、私はここへやって来る。夕暮れのブルースを口ずさみながら……。

 どうですか、あなたもご一緒に。

letter 1>


inserted by FC2 system