Sunset-blues

letter 5

 翠さんは、この店にきて5年になる。
 最初はこんなトッポイ子をどうやってホステスに出来るのか、ママの審査を疑ったりもしたのだが、あの子は私と似ている、と言う言葉通り、今やこの店の看板である。

 入りたての頃は、それはもうママより客を追いだしていた。
「ブス!」
「なんだよこのハゲ!」
 ママでも言わないような罵声の応酬だ。
 そんな翠さんでも、一目置いているお客様がいた。その方はいつも開店早々にやってきて一杯だけスーパーニッカを飲んだ。
「じゃ、忘れた頃にまた来るよ」
 翠さんの肩をポンと叩くと、真冬でもフランネルのコートを脱ぐことなく、風のように帰っていった。
 お転婆の翠さんでもそのお客様の前だけでは、とても可憐な鈴蘭のようだった。そのお客様も、そんな翠さんを知っていたのか、いつものキャラクターを邪魔することなく、早い時間に来ては混む前に帰ってゆく。私はそんな二人を微笑ましく思っていた。

 ある日、いつものようにそのお客様は訪れ、翠さんに水割りを作ってもらっていた。
「えっ?」
 翠さんの声がまだ早い店内に響いた。そのお客様は風のように出て行かれたが、私の寂しい予想通り、それからぱったり姿を現わさなくなくなった。
 その頃からか、翠さんにはある意味プロ意識のようなものが感じられるようになり、多少のことではお客様の言葉に感情的にならなくなった。それは、店にとってはいいことであったし、ママも、やっとやる気になってきたわね、と安心しているようだった。
 いや。ママはその時もう何か気付いていたのかもしれない。

「何よ、まこちゃん。私に見惚れてんのぉ?」
 私の視線に気付いた翠さんは、ロイヤルブルーのサテン地が眩しいドレスの端をちょっとつまんで、暇ねぇ、とカウンターに座った。
「いえ……翠さんが入った頃を思いだしていました」
 私は翠さんお気に入りの、明日葉茶で割った焼酎を出した。
「ありがと。健康になるって、酒で割ってりゃ意味ないじゃんね」
 そう笑いながら、翠さんはひとくち飲んだ。
「入った頃かぁ……。そういえば元気にしてるのかしら、荒木さん」
「荒木様?」
「そうよ、麗しの、スーパーニッカの彼よ」
 翠さんは、クスッと笑ってカウンターに頬杖をついた。そのノースリーブの肌が、カウンターに映り込んで、白く浮かびあがっていた。
「あの人ったら、明日ニューヨークに行く。とかいきなり言うのよ? 水臭いわよね、前日まで言わないなんて」
 なるほど、それが私が思いだしていた、翠さんの驚いた声だったのか。
「荒木さんね、いつも私に言ってたの。嫌な思いした相手にほど、上手く接して、金使わせろって。そして心の中でベーってしてやんなって。面白いでしょう?」
「でも、それは正しいです」
 私は感心していた。荒木様は、そうやって翠さんの愚痴をたまに聞いてやっては、慰めてくれていた訳か。それは翠さんも一目置くはずだ。

「その時はさぁ、いなくなっちゃって寂しかったけど、だから余計1番になってやろうと思ったの。彼の言う通りにしたら上手く行くような気がしたしね」
 事実、それからの彼女は見違えるほどのホステスになった。彼女目当ての客は倍々に増え、引きぬきの話もしょっちゅうあった。

 いつか、酔ったお客様が翠さんに絡んだことがあった。
「ナンバーワンだかなんだかしらねぇが、こんなちいせぇ店でお高く止まってんじゃねぇよ!」
 翠さんは、すっと立ち上がるとカウンターに歩み寄り、良く通る声で言った。
「ドン・ペリニヨンお願いします。ロゼがいいわ」
 やがてテーブルに戻ると、自分で儚いピンクのドンペリの栓を勢いよく抜いた。心地良い音が響き渡り、光を受けた飛沫が彼女にキラキラと降り注く。
「お客様。ここは小さな店ですけど、無駄に広い店と違って手を抜いたりしませんよ。お酒とホステスは一流なんです」
 バカラのフルート型のグラスに夢の色をしたシャンパンを注ぎ、周囲に会釈をすると一気に飲み干し、お客様を見下ろした。
「早く一流のお客様になって、ここまで追いついてきてください」
 その華麗さに他のお客様は感嘆の声をあげ、拍手が起こった。古くてしっとりとした店内の中で白いシンプルなドレスを翻し、お辞儀をしている彼女は、まるでマレーネデートリッヒのように優雅で、そして毅然として自分の仕事に誇りを持っている美しさがあった。

「そんな事、あったねー、あったあった!」
 彼女は素で笑っていた。その時、カランとドアが開いた。
「いらっしゃいませ」


「翠ちゃん、トップになったかい?」
 そのお客様は、今日もコートを着たまま翠さんに話しかけた。
「ようこそ」
 翠さんは、満面の笑顔で出迎えた。
「なりました。そしたら迎えに来るって言ったでしょ」
「ああ。迎えにきた。でも行かないだろう」
「うん。ついては行かない。迎えに来て欲しかったの。まこちゃん、いつものね」
 彼女は、荒木様にあらためて言った。

「いらっしゃいませ、No,1の翠です」

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