混ざり合う風

vol. 1

 堆く詰まれた書類の陰で、楽しみにしてるドラマの予約をしていた自分の読みが、当たったことを嘆いた。

 別に帰っても何が待ってるとか出かける予定があるわけじゃないけれど、どうせなら残ってまで仕事したくはない。残業なんて20時間で切り捨て。そんなの1週間で満たしてしまう。

「うちの定時って5時だって知ってたぁ?」
 二人しかいないがらんとした事務所で、わざと遠くに向かって話すように美智に話し掛けた。
「そう言えばそうだったわねぇ、一度ライブがあって定時帰りする時、社長に嫌味言われたわぁ、何年前だったかしらぁ」
 誰かに聞かせるような口調で彼女も答えた。私の3年後に入ってきた彼女も、すっかり残業族になってしまった。でも、私にしてみれば美智は恵まれているほうだ。まがりなりにもデザイナーなんだし、頑張れば自分の作品が何処かに出る。私みたいなマネージャーには、そんな夢は持てない。

 そんな、疲れが漂う夜のオフィスに出先からクラが帰ってきた。
「お疲れーっす」
 私は大抵こいつを待って遅くなっている。肩には製図のケース、手にはコンビニの袋。どうやらここで徹夜の雰囲気だ。
「お帰りなさい。んじゃ、帰りますんであとよろしく」
 私はバックを片手にホワイトボードを消した。
「なんだよそれぇー、もうちょっと労わるとかさー、いつも待たされてるみたいに」
「そうよ? 本当はクラ待たないで帰ったっていいんだから。みっちゃん、なんか食べいこ」
「あはは、倉田さん、千鶴さんに何かしてあげないと罰当たりますよぉー。千鶴さんがいるから納期ギリギリになってからやっつけでも間に合うんですから」
 はいはい、と倉田は席に荷物を置いてソファーに身を投げ出した。
「一眠りしてからやるかぁ」
「フォリアさんのロゴ、納期明日の2時ですから。お先ーー」
 ソファにそのまま崩れて呻く彼を置いて、私たちは事務所を出た。


「倉田さんにも鍵渡しちゃえばいいのにね、社長」
 美智は唐揚げを箸で串刺しにして、半分かじった。取った明石焼きが思いの他つゆだくさんだったので、私は慌てて口から頬張って、口の中を火傷しながら、うんうんと頷いた。
「なんかね、前の事務所で鍵渡したら、本当に住み着いちゃったらしくてね。あそこに越してから絶対渡さないって言ってるのよね」
「あの二人、幼馴染だっけ」
「そそ。性格正反対なんだけど、なんとなく一緒にいるのよね」
「社長は仕事とプライベートはきっちり分けたい方だし」
「クラはごちゃまぜ」
「ホントぐちゃぐちゃよねぇ、あの時なんてさぁ……」
 私と美智は笑いあった。事務所御用達の店だから、店の子も誰の話をしているか解っていて、一緒に笑っていた。いつでも話題になる奴、それがクラだ。

 店の前で美智と別れて自宅に戻る途中、メールが入った。
「今日もあいつは泊まりか?」
 水沢だった。
「はい。明日納期のものがあるので」
 事務的に返信した。11時か……、きっと家族が寝たんだわ。見上げた夜空に一つだけ星があった。ビルに額縁された薄明るい夜空だけど、星は見えるものなのね。


 水沢と倉田。そして私は同じデザインの学校に通っていた。その時から、ミズとクラの考え方は全く違った。クラは単純に好きだからやっていたし、ミズはいかに自分の才能を認めさせるかをいつも考えていた。
 私は日々の課題に追われてクラほどの楽しさもなく、ミズほど自分の能力に自信もなく、どちらかと言えばたむろしたり、話し込んだり、そんな学生生活を楽しんでいるクチだった。

 ある日、課題がどうしても終わらなくて、私が教室に残っていたときに、ミズが差し入れを持ってきた。ハンバーガーを片手に、マーカーを放り投げながら色を入れていく私に、机に座って眺めていたミズが訊ねた。
「千鶴、何がやりたくてここに入った?」
「何がやりたかったんだろ。少なくとも居残りで課題仕上げることじゃないね」
「ふぅん。だったら、早いとこ片付けるか」
 立ち上がったミズは私の散らかしたマーカーを掴み、何も言わずに一気に色を入れていく。私が入れようとしていた色彩そのままだった。
「なんで解ったの?」
「千鶴の使いそうな色だから。これならバレないだろ?」
 ミズの才能を改めて実感した。それは本人が使う色とは、全く別の仕上がりだった。

 提出したものは私らしいもので、ミズは当然だが、回りは誰も関心を示さなかったのに、ただ一人私に向かってニヤリと笑う奴がいた。クラだった。
「ちーずちゃん。駄目じゃん、次からは自分でやりましょうね?」
「なによぉー言いがかりつけないでよー」
 廊下で焦りながら小声で反論した。
「ミズだろ。俺も手伝ってもらったことあるんだけどさ…ここだけの話、ああやってちゃっかり勉強してんだから、アイツ」
「どういうこと?」
「ああやって、いろんな書き方を盗むんだと。本人が言ってんだから」
 それは、悪いことじゃない。私も助かったし。それなのになんでクラはそう言う言い方をするのだろう。
「アイツ裏側にこっそりマークつけてんだよ、自分が手伝ったものは」
「嘘っ!?」
 そんなこと先生に言われたらどうしよう。
「お前なぁ、千鶴本気にするだろ?」
 瞬間、後ろからミズがクラにヘッドロックをかけた。
「痛ぇ!わかった!俺が悪かった!」
 笑いながらじゃれあっている二人に、騙されたことを怒る事も忘れて一緒にはしゃいでいた。確かにミズは着実に、講師によって受ける作品を見つけて、単位を稼いでいった。

 卒業間近、私はそんなミズに聞いたことがある。
「ミズは何がやりたくてここに入ったの?」
 アイツはふふんと鼻で笑った。
「俺はここで何かをやるためじゃなくて、ここを出た後にやりたいことがあるから入ったんだよ。ここが一番近道だと思ったからな」
 ミズはその時からデザイナーではなく、デザイナー集団のトップになることを考えていたのだ。

 私は既に自分の限界を感じていた。溢れる才能なんて私にはない。
「ふぅん。残念だな。まぁ、気が向いたら連絡してくれよ」
 それきり会わずに3年が過ぎていた。

vol. 2 >


inserted by FC2 system