降りた朝

課題〔エレベーター〕

 レースのカーテンから差し込む日差しの角度が、秋を告げている。日当たりがいいからと、何軒か回ってこの角部屋に決めたことを思い出す。

 数日前から密かにはじめた整理も、昨夜手荷物だけとなり、そのままソファで朝を迎えた。ベッドから抜け出したことも知らず、あの人は寝ている。

 SOHO気取りなあの人の正体を知ったのは何ヶ月前だったか。二人で幸せになるために二人で借りた部屋は、私が仕事に行っている間、色んな髪の色と長さを持つ女たちを、飲み込み吐き出していたのだ。
 それでもあの人は素振りも見せず、私が帰ればにこやかに迎え、作った夕食を温めてくれた。そんな快適さに誘惑されそうにもなったが、やはりこの部屋に来た女たちと共棲することは出来なかった。

 どうしてあの人は、あからさまな残骸に気付かなかったのだろう。ベッドの隙間、バスや洗面台の排水溝、ソファにも落ちていた髪。その愉しさに麻痺した笑顔を晒しながら、この部屋のドアを開けていたのだろうか。
 まるでエレベーター・ボーイのように。

 毎朝、珈琲だけは必ず私が淹れていた。今朝はその手でボストンバッグを握り、煩わしさを避けるためにそっと玄関を出た。僅かばかりの哀れみをこめて。
 遠く晴れた空は青く軽やかで、眠りは浅かったけれど気分は良い。新しい部屋に行く前に何処かでモーニングでも食べようか。朝の喫茶店なんて何年も行ってない気がする。あの人も今日から自分で淹れるか、誰かに淹れて貰えばいい。そう、今までのように淡々と、おくびにも出さず。

 もはや追及する愛情も残っていなかったけれど、知ってしまった以上は降りるしかない。

 エレベーターに、人は住めないのだから。

〔了〕


inserted by FC2 system