Sunset-blues

letter 3

 この店は一見さんお断り、と言う店ではない。ママの考えでは、誰でも気軽に入れる店であることが大前提。だからこそ起きる事件もあるのだが、それもまたいい想い出だ。

 そのお客様たちは、いかにもカジュアルな服装でいらして、大学生か、会社の新人歓迎かは定かではないが、10人ぐらいでお見えになった。全員が全員、clubと言うものでお酒を飲まれた事がないらしく、辺りをきょろきょろと見回しては、ひぇーー高そうな雰囲気だよなぁ、大人だよな、こういうとこで飲むってさぁ、などと、感嘆の声をあげていらした。

 まだそれで、ホステスさんがついて多少緊張でもしていれば、微笑ましいと言うか可愛げもあるのだが、どうやら多少風俗の混ざったclubなら行った事があるらしく、酔いが進むにつれて、ホステスさんにちょっかいを出し始めた。
「いいじゃねえか、少しぐらい。お袋みてぇな事言うなよ、ババア」
 ママが窘めようとすれば、いささか他のお客様にも迷惑になりそうな(これは、若者達が大声をあげるだけではなく、それを聞き捨てないママの性分も考慮してなのだが)雰囲気であったので、その席へ行く事にした。

「芙美子ママ。どうかされましたか?」
ママは半ば臨戦体勢に入っていたので、落ちつかせる為にも敢えてママに説明を求めると、一番元気のいい若者が遮った。
「でめえはいいんだよ、俺たちは客なんだからよぉ。今日は高木がパチスロで大儲けしたから、高そうな店でパーッとやろうとしたのに、このババアが邪魔しやがって」
 ママはとうとう頭に来て、立ち上がってしまった。
「てめぇとか、ババアとか、あんたたちみたいな客は金持ってたってお断りなんだよ! とっとと出ていきな! 店が汚れる!」
「なんだとぉー?! 客に向かってなんだよその口の聞き方はよぉ!」
2、3人が一斉にママに攻撃しようと席を立った。相手は酔った若者、力では絶対ママが負ける。ここで帰してしまうことも良くあるのだが、今回私はちょっと引きとめたくなった。何故だかは解らないが。

「ママ! そしてお客様も。席にお付き下さい」
 私は少し低めの声で、諌めて座らせた。
「なんだよジジイ。このババアが帰れって言うんだからよぉ」
「口の聞き方はあとでちゃんと言いますから。それよりも、折角高そうなお店でお酒を召し上がりたかったんでしょう? だったら、美味い酒を飲んだらいかがですか」
 私は、その席にいる全員に話し掛けた。
「そうだよ……。折角こんな高級な店に来たんだし。またいつ来れるかわかんないんだから楽しまないと……」
 今まで黙っていた若者がポツリと言った。
「そうだよな……」
 賛同者が増えると、元気だった若者は黙ってしまった。

「じゃ。はじめていらしたお客様に、こう言う場所での楽しみかたをお教えしましょう。将来、またこういう場所へ足を運ばれる時に、知っているとカッコイイでしょう?」
 私がそう言うと、その若者達は表情が明るくなってきた。
「そうだよな、こういうとこ知ってるってだけで、なんかカッコイイよな」
 コーナーに配された流れる曲線が美しいガレのランプや、マボガニーに葡萄の彫りの細工をした重厚なサイドボードを眺めながら、彼らは口々に言っている。私も楽しくなってきた。

「ここのお客様には二通りありまして、ボトルを入れて、ホステスさんに作ってもらいながら会話を楽しまれる方と、カクテルを色々試されて、気に入ったものを見つけては、ホステスさんやお客様同士で和気あいあいと楽しまれる方がいます」
「へぇー、clubってみんなボトル入れるのかと思った」
 興味津々の若者が身を乗り出す。私も嬉しくなって伝授する。
「そんな店もありますが、ここには私のようなバーテンダーもいることですし、カクテルのある店なら、女性を連れて来られても抵抗ないでしょう?」
「なるほどぉ。ホステスとボトルだけだと、嫌がられそうだな」
「なんだよ、お前彼女いんのかよ」
「え、紹介しろよ、お前」
 急に話が脱線してしまった。若者達がまた声高になり始める。

「で、彼女がいない方たちは、ホステスさんと和やかに……」
「ふん。何が和やかにだ、つまんねえよ」
 先程の若者が、ふんぞり返りながら吐き捨てた。柔らかい牛皮のソファが、荒削りな若者を微笑みながら包みこむ。
「ホステスさんは、お客様のお酒を作り、お話をし、いい気持ちで飲んでいただくためにここにいます。ですが、ちょっと考えるとこれは、女性を口説く練習にもなるわけです」
 吐き捨てた若者は、何かもの言いたげにこっちを見ていた。私は、はじめてその若者をまっすぐ見据えた。

「あなたはホステスさんを、水商売の女だから何してもいいし、触られても仕事だからいいんだ、と思っていませんか?」
「あ? 違うのかよ」
「違いますよ。お酒作るのが仕事で、触らせる仕事じゃないです。そして、お話し相手とか、気持ちよく飲んでいただくのはもはやお仕事ではなくて、そのお客さんに口説かれたかどうかなんです」

 他の席に付いてたお客様が、あちこちでホステスに聞き始めた。
「翠ちゃんって俺に口説かれてる?」
「当たり前じゃないのぉ。お仕事だけじゃ、ここまで仲良しになれないわぁ」
 手馴れたホステスはうまく機嫌をとっていく。ママを見ると、苦笑しながら小さく親指を立てていた。おしゃべりな彼らの為に、アップテンポのジャズが続く。

「ですから、あなたがホステスさんを大切にするほど、男として自然と口説き上手になれるし、モテる、と言う訳です」
「そんなもんかぁ?」
「はい。30年バーテンダーをやっている私が保証します」
 私はにやりと彼に笑って見せた。彼は意を決したようだ。
「よし。じゃモテまくってやるから、乾杯しようぜおじさん。美味いカクテル作ってくれよ」
「かしこまりました。じゃここのオリジナルを」
 私はウイスキーベースに少しだけの炭酸とカンパリと一滴垂らした、店のオリジナルを作った。

「これ、なんていうの?」
「これは、sunset-bluesです」
「カッコイイなぁ、なんか、すごい大人になった気分だ」
 彼らは口々に優越感に浸りながら、未来の自分を想像していた。

 そして。
 今カウンターでスーツを着込み、女性とコソコソと話しながら、酒のうんちくを語る彼こそ、あの時の元気な若者なのだ。
 弟子が育ったような嬉しさに、つい微笑を抑えられないでいる。

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