混ざり合う風

vol. 3

 スーツ姿の男は、私の呟きを聞き逃さなかった。
「失礼ですが」
 医師から書き取っていたメモ帳の表紙を見せて、自分が刑事であると名乗ったつもりのようだったが、頭に浮かんだのは「刑事ってドラマみたいなことやっぱりするんだな」と言うことだった。
「今、奥さんが、と言いましたね?」
 その問い詰めるような、お前何か知ってるんだろ、と言わんばかりの威圧感に妙に腹が立って、その刑事やらを睨んだ。
「奥さん、が、とは言っていません」
「ご協力願いたいのですがねぇ」
 ……いちいち癪に障る物言いをする男だ。クラの不安そうな、何か言いたげな、何も言わせたくないような表情に、大きく一つ深呼吸をした。

「一体あなたは人の命を何だと思ってるの? 人が死にかけて血相かいて来てんのに、いきなり尋問のようなこと言って。第一、私はそんな手帳の表紙だけで、刑事だなんて信用してませんっ」
 スーツ姿の男は、やれやれ、と言った具合で手帳をめくり、身分証明とバッチを見せた。
「私、上条と申します。水沢さんがこうなった訳ですし、早く解決したいと思いませんかねぇ、あなたも」
 その刑事は、いかにも私と対峙するのが面倒な口ぶりだ。蛍光灯が染める青白い天井を見ながら、この刑事がミズの蒙った事件をきちんと調べてくれるのか考えたが、適当に人情沙汰にして終わらせることしか想像できなかった。
「あんたさ、こっちの精神的な部分考えてよ」
 助け舟を出したのはクラだった。
「こっちもさ、夜の夜中に、刺されただの危ないだのってさ、ろくに寝てもいないんだ。それを犯人でもないのに言葉尻捕まえて、聞いてていい気分しないぜ。ミズの命は助かった。少しはホッとさせてくれてもいいんじゃねーの?」
 クラの言葉に、刑事はかなり不服そうに言い捨てた。
「犯人じゃないって決まった訳じゃありませんからねぇ」
「お前、千鶴まで疑ってんのか!」
「止めてよー! クラさんっ!」
 慌てて、美智と私が掴みかかりそうになるクラを両方から引っ張る。
「ここは病院です。お静かに願います。刑事さんも少し慎んでください。水沢さんの病室はこちらです」
 医師の言葉に、全員が気を取り直して白い廊下を歩き出した。

 部屋は薄暗く、白く浮かび上がったベットには、点滴を下げ、お腹の上に大きなカバーのようなものを置かれたミズが薬で眠っている。その覇気のない手首に真っ先に飛びついて「社長!」と縋ったのは、予想外にも美智だった。
「社長……。どうして刺されちゃったりなんか……」
 涙目で手をさすっている美智の背中を眺めながら、私はぼんやりと犯人のことを考えていた。ミズの言ったことが本当ならば、離婚を考えていたことを知っているのは私だけだ。こうやって泣いている美智にも、その話はしていないのだろう。最初に私に連絡を取ろうとしたことが、どうしても奥さんを連想させてしまう。さっきの刑事の反応も……。


 病室の外に出ると、さっきの不躾な刑事が腕を組んで待っていた。私を見つけて軽くお辞儀をすると、ベンチに促して向かい側に座った。
「冴子さん、つまり奥さんは、現場でナイフを持ったまま放心状態でした」
 上条刑事は戦法を変えたようで、手の内を話し始めた。
「そうなんですか……。あ、あのコーヒー買ってもいいですか」
「あ、ああ、すいません。私が買います」
 刑事の皺になった紺のスーツを見ながら、決して悪い人ではないんだとホッとした。さすがに何度お金を渡しても、受け取ろうとはしなかったけれど。
「何か水沢さんから聞いていますか」
「いえ……」
 自分しか聞いていないことを、この人に話すのはちょっと気が引ける。
「離婚話を相談されていたりとか」
「えっ?」
 不覚にもさっきから考えていた「離婚」の2文字に反応してしまって、思わずコーヒーをこぼしそうになってしまった。上条刑事はそんな慌てぶりに緊張が解けたのか、笑いながら大丈夫ですかとハンカチを出してくれた。さっきまで強気で歯向かっていただけにバツが悪くなってしまって、大丈夫ですと言いながら両手でしっかりと紙コップを握りなおして口をつける。
「あなた、案外正直な方ですね……」
 案外、と言う言葉にちょっと引っかかったが、背中を丸めて座る上条刑事はさっきより人間らしく、人の気持ちも多少はわかるように映る。
「いずれ水沢さんの状態をみて事情はお伺いするつもりですけど、なんせ冴子さんは今動転していて何も掴めない状態なので……」
 そう言って立ち上がり、紙コップを捨てにいく姿へ向って私は慌てて付け加えた。
「あっ、あの、ホントに離婚話なんて聞いていませんからっ」
「大丈夫ですよ。秘密は守りますし、それで何も決まりやしません」
 一瞬、刑事の顔を見せたスーツ姿の男は、最初に見せた失礼な態度とは違った深めのお辞儀をして、玄関のほうへ歩いていった。

 上条刑事と入れ違いに、病室から出てきたクラがこちらへやってきた。
「なんか聞かれたのか」
「大丈夫、ありがと」
 クラにまで余計なことを言ってしまわないように、黙って病院の外にある喫煙スペースまで出ると、クラは煙草に火をつけて一息吸い込み、白い煙を吐きながら大きく伸びをした。
「しっかし、みっちゃんミズのこと好きだったのかなぁ」
「そうね、意外だったわね……」
 あの、取り乱してミズの手をとった美智を思い出しながら、ミズが何故離婚しようとしたのか、そればかりが頭の中で渦を巻いていた。


 朝。僅かな睡眠時間で事務所に行ってみると、クラはソファーで眠っていた。テーブルには出来上がった仕事と『誰かこれ届けてくれ、寝かせてくれ』と言う走り書きが置いてあったので、仕方なく私が持っていくことになった。

 美智はあのままミズのそばについていたようで、意識が戻ったと連絡が来た時はかなり声が弾んでいた。そんな素振りは今まで全く見せなかったのに。
「あのみっちゃんがねぇ……」
 電車の揺れについ眠ってしまって、慌てて飛び起きたが頭がボーっとしている。客先のビルに辿り着いてエレベータの階数を見上げた途端、眩暈がしてよろけてしまった。咄嗟に支えてくれた人の袖口に、見覚えがあって振り返ると。

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