歪んだオセロ

vol. 3

「吸うか」
柴田がいなくなった取調室で、俺は煙草を差し出した。哲哉は黙って一本抜くと俺がつけた火に顔を近づけ、ゆっくりと吸いこんで天井に煙を吐きながら、遠くを見るように呟いた。
「あんたの話、してたっすよ」
「そうか。どうせロクな事は言ってないだろ」
 捨てた男だからな、あいつが恨んでも仕方がない男だ。自分の非道さを潰すように、自分の煙草をもみ消した時、哲哉は不器用に微笑んだ。
「哲哉はわかんないかも知れないけど、女は惚れた男の為だったらなんでもするのよって。姉さん、あんたにベタ惚れだった」
 俺はあまりの驚きに哲哉を殴りそうになった。
 そんな事あるわけないじゃないか、俺はあいつに何もしてやれなかった。いつも事件を追ってばかりで、遼子のことは後回しだった。ふらりと遼子がいなくなった時も、仕方がないと諦めたんだ。新しい勤め先も探そうとせず、ただ去って行った事が返事だと。そんな事あるわけがない。
 俺は相当な形相だったんだろう。哲哉は慌てながら言葉を足した。
「嘘なんってついてないっすよ! 店だって、あんたの為に移ったって姉さん言ってたっすから。信じて下さいよ!」
「俺の為?」
「そおっすよ、大切な仕事の邪魔になるって。でもきっと迎えに来てくれるからって、姉さん笑ってましたよ」

 背中から頭を、悪寒のような憎悪が突き抜けた。
「遼子は、俺の為、と言ったんだな……」
「ええ」
「事務所はこの時間、誰がいる」
「ダメっすよ! 今はみんな揃ってます、組長も……」
「そうか。加藤がいるんだな」
「知ってるんっすか? 組長のこと……」
「……当時追ってた事件の主犯格だ……。もう一人は……」


 特捜の部屋のドアを開けると、全員が一斉に俺を見た。
「何しに来たんだ、お前の来るとこじゃ……」
「安西は、安西洋平じゃない!」
 いきり立つ部長を無視して、俺は怒鳴った。
「いい加減な事を……」
「うるせぇ! 黙ってろ!!」
 エリート上がりの、若くて礼儀知らずな部長に今度は柴田が怒鳴った。あいつも総てを思い出したのだ。
「安西…………、正太郎か」
「そうだ、今は桐原正太郎だ」

 全員が息を飲んだ。でか過ぎるぞ、この事件は……。誰もがそう思った。ただの代議士じゃない。派閥のトップじゃないか!!。
「……俺たちが追っていたのは、まだしっぽだったって言うのか……」
 柴田が、半ば放心状態で口を開く。
「ああ。俺が追っていた時はまだ中堅だったからな。悪どい手段で、ここまで来たという訳だ」

 遼子……。あいつらに、何を言われたんだ。教えてくれ。遼子。


 当時、俺はその安西が桐原派の中堅として、パーティ券をさばく為や選挙資金を調達する為に暴力団と癒着していることを突き止めていた。しかもご丁寧に、自分の別荘付近に麻薬の受け渡し場所まで確保していた。そこへ乗りこもうとした前日、圧力がかかって当然取引も流れた。家に帰ると遼子はすでに出て行ってしまったし、自棄になって酒を浴び、事件を起こし、上層部の思惑通り捜査から外された。
 忘れた訳ではない。忘れられるわけがない。あいつが桐原の娘と結婚し、姓を変え世代交代してのし上がっていく様を、俺はほぞを噛みながら睨みつけてきたのだ。特捜から追いやった汚い政治家として今までこだわり続けてきたが、遼子まで追いやったとなればもう見ているだけでは済ませない。まだ加藤と関わっているなら、絶対ボロは出るはずだ。

 哲也が言うには、組長の加藤は毎週決まった時間に散髪に行くらしい。大抵3人のチンピラが外で見張りをしていて、その間客は入れないそうだ。
「先に入ってりゃいいんだな?」
「追い出されますよ、床屋のオヤジだって報復は怖いですよ」
「あっちが3人ならこっちは4人で行きゃいいんだろ、店主に迷惑は絶対かけない」


 柴田とあの部長に反発している若手二人を連れて床屋に行くと、店主のオヤジは実に気の弱そうな男であった。
「悪い事してる人なのは解ってたんですけど、上客でもあるし。第一、ここで大立ち回りなんてやられたら、一生喰っていけないです」
「なあ、オヤジさん」
俺は、協力を拒む店主の肩を抱きながら耳打ちした。
「警察が入って犯人逮捕の為に店が壊れたらさぁ、ここらへんの椅子とか、この捲れちまってる床とかぜーーんぶ、弁償出来るんだよねぇ……」
「あーあ、そんな事言っちまって、コウさん、知恵つけるつける。国家予算の危機だ」
 柴田との漫才に若手たちも大笑いして、店主もこの雰囲気に少しほぐれたようだ。

 でも、やはりその時間が近付くとさすがに店主も緊張してくる。
「大丈夫、穏便に話するだけですから。それに加藤とは知り合いだから、急にいきり立ったりしませんよ……」
 そして、まずチンピラが店内に入ってきた。
「オヤジ! なんで客がいるんだよ、早く仕上げで出しちまいな!」
 若手の一人がチンピラに向かって言った。
「おぅ、うちの組長に言いがかりつけやがって、いい根性してるじゃねぇか。てめえんとこの組長とは、随分長い付き合いなんだぜ? この下っぱ!」
 俺はその演技に笑いを噛み殺していた。柴田が連れてきただけの事はある。刑事やってなかったら、絶対組のモンだな、こいつら。チンピラは先輩格を連れてきた。
 林田か。こいつもまだ残っていやがったんだな。
「久しぶりだな、林田。穏便に加藤と話したいんだが、呼んでくれや」
「ほぉ。まだ生きてたんですか、松坂さん。組長も懐かしがりますよ」

 現れた加藤は、貫禄が増していた。修羅場の経験値か。
「おー、久しぶりだな、元気そうじゃないか、松坂元特捜デカ」
「お前は元気そうじゃないな、10年は寿命が縮まった顔してるぜ」
 チンピラが立ち上がると、同時に若手二人も立ち上がった。
「まあまあ。この人とは旧友ってとこだ、なぁ松坂さん」
「そうだな、腐れ縁だ」
 オヤジはこの雰囲気にようやく仕事する気になったようだ。加藤の洗髪中に、俺は探りを入れ始めた。
「安西ともたまに会うのか」
「……」
 下を向いている加藤は返事をしない。俺は話し続ける。
「村上が、埋められてたらしいな。刺殺らしいじゃないか。何かヘマでもやって消されたか? あの時も、何人か殺ったよなぁ。俺に教えてくれた奴は、片っ端から消えた。テメエらには過去の話だろうが」
「何の事やら……。もう3年も経ったら覚えちゃいませんよ。で、わざわざここで何の話です?」
 洗い終わった加藤が無気味に笑った。毎日命を狙われる生活をしているとここまでしぶとくなるんだと、ある意味感心しながら俺は切り出した。
「安西に伝えて欲しいんだよ、3年分の礼がしたい。絶対あんたを検挙するってな」
「ああ……、さっき村上がどうのって言ってましたね。あんたの前の女の死体の下から出てきたとか――、人情沙汰じゃねぇんですか?」
 加藤は鏡の中から俺を見ながらと、にやりと笑った。俺は顔に出さないようにしていたつもりだが、店主がその顔を見て恐怖で手が震えていたと、あとで柴田は言っていた。

< vol. 2  vol. 4 >


inserted by FC2 system