歪んだオセロ

vol. 4

 加藤は相変わらずたぬき顔のままだが、にわかに回りが動き始めた。林田はあの日以来事務所に現れなくなった。ゴロツキどもは、今まで腕で言う事をきかせていたが、胸座を掴むことがあっても殴る事はしなくなった。

「暴行でしょっ引かれるの、警戒してやがる」
 柴田は舌打ちするが、桐原のしっぽは容易な事では掴めない以上、やはり加藤側から攻めるのが得策だろう。それに俺としては、桐原逮捕の為には動けない。遼子殺しが絡まなければ、特捜側には入りこめないのだ。
「桐原の様子はどうなんだ? 佐藤」
 例の強面の若手が振り向く。
「張り込んでた奴の話によると、体調を崩しているようです」
「ちっ、そのうち入院で逃げるつもりか? そうはさせるかってんだ」
 柴田は加藤が思うようにボロを出さないので、躍起になっている。
「ここんとこ、往診の車が毎日来るそうです。なんとも女医だそうで」
「女医……。まさかな」
「何だよ、コウさん女医も射程範囲か? 俺はダメだね、ああいう賢い女は。さて、林田はどうした! 見つかったのか!」
 柴田の声が離れていった。


 まさかはやはり的中して、車から降りてきたのは桜井医師だった。
「刑事さんが待ってるなんて言うから、緊張しちゃったわ」
「一応私も刑事なんですが」
「あら、そうだったわ、御免なさいね」
 屈託なく彼女は笑った。

「守秘義務は重々承知して、敢えてお伺いしますが」
 俺が切りだすと、彼女は急に真顔になり、医師らしい表情を見せた。
「それは礼状がなく、あくまでも憶測の捜査だと聞こえますが。でしたら答えはかなり限られてしまいます」
 柴田の言う通り、賢い女は扱いづらい。まぁ、元々女は苦手だが。
「はい。で、桐原は何処が悪いのですか?」
 あんまり単刀直入に聞いたので、彼女は一瞬言葉を失った。その回転の早さで言葉を見つけたのだろう、表情を変えずに答えた。
「感冒です。ですが大事を取っているだけですし、マスコミは少々の症状でも大きく取り上げますからね」
 そつがない。政治家を診ることに慣れているようだ。

 話を変えてみることにした。
「監察医って、往診もするんですか?」
「正確に言うと私は監察医ではないわ。検死を依頼されてるけど、それだって当番制ですもの。学校で習わなかった?」
「そうなんですか。てっきり専門なのかと」
「もぉ。暖かい人だって、み、る、のっ」
 彼女は少し頬を膨らませて見せた。今度は俺が言葉をなくした。こんな時、気の効いた言葉が返せないのが無粋なんだろうな、などと思いながら。

「やだ、松坂さんったら。ホントに堅物なんだから」
 医師は白い歯を見せながら、さっきの笑顔に戻った。
「すいません。では、何かもし気付いたことがあったらよろしくお願いします。貴女の良心に期待しています」
 俺は、ばつの悪いまま病院を後にした。


 署に戻ろうとした時、街角で聞き覚えのある声が呼びとめた。振りかえると、それは遼子の昔勤めていた店のバーテンダーだった。
「こんな所で会うなんて、いやぁお久しぶりです」
 懐かしそうに彼は銀髪の頭を下げた。
「やぁ、何年ぶりだろう。相変わらずあの店かい?」
「いえ、実は瑞希さんに誘われて、私も移ったんですよ。あ、失礼致しました……」瑞希の名を出したことを気にしている。
「いいんだ。瑞希の話が聞きたい。今それを調べている」
「でしたらこれから店に行くんですが、男同士で同伴しますか?」
 彼は紳士的に笑った。薄手のコートが風をはらんで、品の良い紅の裏地が刹那映った。粋な男だ、と感服した。

 遼子がいた店は、明かりを少し落とした、落ちついた店だった。なるほど、これなら奴らがここを使ってもあまり注目されない。バーテンダーがいてくれるのは、実に好都合だった。店の女たちも、構えずに話してくれる。特に遼子と親しくしていた春菜というホステスは、俺を見るなり泣き叫んだ。
「瑞希ちゃん、ずっと貴方のこと待ってたのよ?! なんでもっと早く迎えに来なかったのよ……、そしたらこんな事……」
「まぁ、春菜さん、落ちついて、ね? 瑞希さんの為にも知ってること、全部話してあげてよ、春菜さん」
 バーテンダーが慰める。

 遅すぎたのだろうか。遼子の事も、桐原の事も。俺がほされてる間に、事態は手のつけられれない所まで来てしまった。事実、遼子は俺と関わって死んだのだ。
「松坂さん。生きているものに、手遅れはありませんよ。瑞希さんが今、何を望んでいるか考えてあげてください」
 俺の諦めを見咎めるように、バーテンダーは山崎の12年を滑らせた。
「……何だと思う。瑞希の望む事は」
「多分……、見つけて欲しいんじゃないですかね、松坂さんに」
「見つける、か」
 そう、まだ俺は遼子を見つけてはいない。
 あの雑木林に辿り着くまでの遼子も、引きずりこんだ黒い影も、まだ見つけてはいないのだ。

 春菜の話によると、遼子と仲が良かったのは春菜とあと一人、ここを紹介した志穂というホステスらしい。
「志穂さんはねぇ、ここのNo1なの。瑞希さんと二人で取り合ってたって感じかなぁ。今日はお休みなんだけどね」
「その彼女の連絡先はわかるかい?」
 春菜は名刺の裏に携帯番号を書きながら言った。
「えっとぉ。でもね、ここだけの話、彼がいるみたいなの。誰かは教えてくれないんだけど。だから出られない時多いんじゃないかな。はい、これ」
「ありがとう、じゃ、また話聞きに来るから、つけといて」
 俺は、店を出て直帰する事にした。久しぶりに、家にいる遼子の骨と酒が飲みたいと思った。

「いい男ねぇ……。さすがは瑞希ちゃんだわ」
 春菜は背中を見送った。
「春菜ちゃんも、出逢えるさ。いい男に」
 グラスを拭きながら語りかけるバーテンダーに、栗色の巻き毛を素早く揺らして、笑いながら春菜は言い返した。
「決まってるじゃないの。私だって見つけるわ。でも、瑞希ちゃん幸せだったのね。惚れた男、かぁ……」
 店内を柔らかい空気が包んでいった。そこに瑞希がいるように。 


 志穂は、どうやら林田の愛人らしいと言う情報が入った。佐藤が張りこみを続けている間に、志穂のアパートから林田が出てくるのを見つけたらしいのだ。
「ありがたい、これで瑞希殺しと加藤組の繋がりが解るかも知れん」
「いえっ! 松坂先輩のお役にたてて自分も嬉しいっす!」
 なんとも単細胞な奴だ。柴田も良い部下を持ったものだ。扱い方さえ間違わなければ、使えそうだ。

 志穂に連絡を取った。瑞希の名を出したら、志穂は怪訝そうな声を出した。
「私は事件のことは何も知らないわよ」
「いや。瑞希の話が聞きたいんだ。瑞希が死ぬまで、どんな生活をしていたのか。仲の良かった君なら知ってると思ってね」
 そう言われては、否定する理由もないだろう。これで否定すれば何か知ってると自分から言っているようなものだ。志穂は、とある喫茶店を指定してきた。もしや林田も現れるかもしれない。俺は佐藤に状況を伝え、出くわしても挨拶などするなよ、と釘をさした。

 志穂は当りをきょろきょろ見回すと、俺を見つけて会釈した。
「良く私が解りましたね」
「だって、男一人で窓際にいたの貴方だけじゃない。やあね、そのはなから疑った刑事の言い方」
「すみません。挨拶のつもりだったのですがね、オーダーは?」
「そうね、ミルクティ」
 ふてくされて椅子にかけた志穂は、注文したあとも落ちつきがない。
「お急ぎのご様子なので、手短に済ませます」
「急いでんじゃないけど、こんなとこで刑事とあってるのが嫌よ。お客にあったら、いいカモじゃないの」
 自分で指定しておきながら、不条理なことを言う女だと思った。

< vol. 3  vol. 5 >


inserted by FC2 system