Sunset-blues

letter 1

「いらっしゃいませ」
 常連の石田様は、今日も疲れた顔で入って来た。私はこのお客さんで、前に一度失敗している。お疲れのご様子ですね、と話しかけたら絡まれてしまったのだ。
「おお、疲れてるよ、悪かったなぁ辛気臭い顔で入ってきてよぉ」
 少し扱いづらいお客様なので、あまり私からは話しかけない。石田様もカウンターで黙って飲んで、黙って帰るお客様だ。

 ところが今日は違った。
「バーテンさん、楽しそうだなぁ、この仕事」
 石田様から話しかけてこられて、表情に気を使って答えた。
「私はこの仕事しか出来ませんから……」
「そうだよなぁ……、俺も他の仕事なんて出来ないもんなぁ」
 勘には触れずに済んだようで、石田様は溜息混じりに呟いた。

 しばしそのまま何の話も続けずに他のお客さんの相手をしながら、そう言えば石田様がいつもより長くいる事に気が付いた。グラスが空になったのを見計らって声をかけた。
「何かお作りしますか」
「ああ……。そうだな、同じの」
 石田様はグラスを差し出した。
「かしこまりました」
 いつものIWハーパーのダブルを出すと、石田様は口をつけてまた話しかけてきた。
「俺さ。上司に馬鹿の一つ覚えって言われるんだよ、いつもな」
 そうやってグラスの氷を見つめながら苦笑した。

「酒だって、こんなに沢山あるのに、いつもこれしか飲まねぇだろ? 他の味試す勇気もなきゃ、無難な事しか出来ねぇんだよな……。伝票整理をしていれば、いつまで整理しているんだと言われ、電話を取っていれば、いつまで同じ客と話してるんだと言われ、会議に出れば、『お前は新しい考え方なんて出来ないよな。いつも同じ事しか出来ねぇ、使えねえ奴だもんな』と言われる。俺だって、腹の立つ事もあるけど、女房子供もいるしって思うのに、家に帰ると女房も同じ事言いやがるんだ。『あんたは何でそう要領が悪いの、ちょっとは考えてんの? まるで俺っていうロボットと暮らしてるみたい』だってさ。そうかもな。俺は同じ事しか出来ないんだから……」

 私は、石田様は扱いにくいお客様だと思っていたが、ここへ来てまで疲れてると言われたくなかっただけなんだと、自分の不出来さを省みた。

「石田様……。同じ事って、大切だと思いませんか」
 マボガニーの臙脂色がしっとりと光り、お客様のボトルが整然と並び、ベイグライトの端正な照明の脇で、女性達の柔らかい線が際立ってゆく。いつも同じ表情で100年を超えた物しか、ママは置かない。それが人を癒す事をママは知っているのだ。
「変化ばかりがいい事じゃないですよ……。同じだから落ちつくって事も、あると思いますよ」
 自分にも言うように、しみじみと相槌を打っていると、テーブル席から声がかかった。

「まこちゃーん、こちらのお客様、まこちゃんの作った水割りの方がいいってぇー。
梨奈わかんないのよー作り方教えてよぉーー」
 失礼します、と私は言い残して、少し拗ねた顔をしている新人の梨奈さんのテーブルへ行った。
「奥田様、いらっしゃいませ。今指南致しますので少々お待ち下さい」
「ははは、指南か。よろしく頼むよ」
 お客様の気分を和らげてから、私は梨奈さんに耳打をした。

「奥田様は実はあんまりお酒強くないんですよ、だから薄く作るんですけど、先にお酒を入れてしまうと、みんなに飲めないってばれちゃうでしょ? だから、先に氷と水を入れてからお酒を入れるんです」
 梨奈さんは、え?と言う顔をして、ひそひそと返した。
「だって、水から入れたってどんだけ入ったか判るじゃない」
「混ぜながら入れるんです。出来るだけ細く、少しずつ。色が付けばいいから。話しかけながら、手元は見せない事、出来ます?」
「……やってみる。でもボトル空かないじゃんねぇ?」
 梨奈さんは不服そうだった。

「お待たせしました。じゃ作ってみてくださいね」
 梨奈さんに作ってもらってる間に、私は奥田様に話しかける。
「先日は賑やかに起こしいただいてありがとうございました」
「ああ、みんなここを気に入ってくれてねぇ。また連れて来るよ」
「ありがとうございます。いつも贔屓にして頂いて。奥田様にはご紹介料を差し上げないといけませんねぇ」
 やがて梨奈さんの水割りを飲んだ奥田様は満足そうに笑った。
「そうそう、これがいいんだ出来るじゃないか」

 梨奈さんは後でママに窘められたそうだ。
「大酒飲みだけが上客じゃないのよ。気分良く飲んでもらう事だけ考えなさい」

 カウンターに戻ると、水割りをまじまじと見ながら、石田様は呟いた。
「そうだよなぁ、自分で割ると濃かったり薄かったりするよなぁ」
「私はこれが仕事ですけど……、いつも同じ事するって大変ですよ。変わらない事って、自信持っていいんじゃないですか」
「自信かぁ……。でも回りは変化を求めてるんじゃないのかなぁ」
 石田様は肩を落とした。
「それは、きちんと仕事している事に気が付いてないだけですよ。誠実である事を、自分が判っていればいいじゃないですか」

 私は、ちょっとアクの強いスコッチの水割りを、ショットグラスに注いだ。
「舐めてみて下さい」
「う……、口に合わない」
「でしょう? いくら酒が一杯あっても馴染む酒って一握りもないもんですよ。石田様はハーパーの方がいいし、それを知ってる事に自信持っていいんですよ」
「そうだよな……、裏切らないもんな……」

 石田様の顔から、少し疲れの色が消えたような気がして、私は喜んだ。
 そして二人黙って、いつもの雰囲気を楽しんでいた。

<letter 0  letter 2>


inserted by FC2 system