混ざり合う風

vol. 2

 私はその後、とあるアパレル関係の仕事についた。そこには「先生」と呼ばれる人がいて、先生の名前で製品は作られていくのだが、実際はいろんなスタッフの技の寄せ集めだった。「先生」に見せた生地がOKになると、次はデザインを何人かのブレーンが作り、「先生」に見せる。私の書いたデザインなんて、鼻にもかけられない。そして検閲はファスナーひとつまで入るのだ。当時の先輩が「結局一番協力してくれるスポンサーのものを使うのよ」と耳打ちする。親しげに話し掛けながら、私のアイデアが次の彼女の作品に生かされていることを、私は知っていた。誰もが「先生」のオーダーメイドを作ることに躍起になって、心は貧しかった。笑えない話だが、私は最後までその「先生」を見たことすらなかった。

 新作のショー会場でばったり会ったのがクラだった。クラはたまたまバイトで、ファッション雑誌のカメラマンの助手をしていたのだ。久しぶりに飲みに行った席で、私は虚しさをぶつけるようにクラに嘆いた。
「なんか、デザインなんて向いてないみたい。生地の棚卸とか、手配とかしている方が気楽でいいのよ」
「ふぅん。だったら辞めりゃいいじゃん。俺はそういう仕事出来ないけど、そのほうがデザインよりよっぽど喰えるし……」
  クラは手当たり次第に出てきたつまみをかじりながら言った。ビールで口を泡だらけにしたクラは、割り勘と称しながら私から元を取ってやろうとするのがみえみえだった。それほど自分のデザインで食べるって大変なことなのか……。私は返ってさっぱりした。
「そうよね……、しがみついてたって喰えないもんね……」
「おい。それ俺の事言ってんのか?」
「違う違う!」
 私たちは笑いながら、昔話や好きなデザインの話、嫌いなデザイナーの話で盛り上がった。次の日、私が辞めることを言うと、いとも簡単に「あらそう」と言われ、送別会はおろか労いの言葉もなかった。もっと早く辞めるべきだったと後悔した。

 何度目かの居酒屋で、クラは彼女を連れてきた。前々から聞いていたから驚きはしなかったが、相手のいない自分が少し寂しい気もした。そんな顔色を見たのかどうか、クラが携帯でもう一人呼ぶと言い出した。現れたのはミズだった。
「よぉ、久しぶり。珍しい奴がいるって言ってたけど、本当だった」
 相変わらず引っかかる言い方をすると思いながら、ミズとクラの違いに驚いた。ミズは既にグループを作り、あちこちの仕事を取っているらしい。クラもブレーンの一人だが、気に入った仕事でなければ引き受けないそうだ。ミズはいかにも代表者らしい風貌で、その言い方が生活にあってきてる。
「千鶴ちゃん、仕事辞めたんだよ。お前どっか知らないか?」
「あー、だったら今度事務所引っ越すんだけどさ、手伝いに来る?」
 私は給料くれるんだろうかと訝しがったが、それ以上に驚いたクラのリアクションで返事も出来なかった。
「えーーっ! 事務所越すって何だよ、俺聞いてないぞ」
「ああ。狭くなったってのもあるが、お前に自分の部屋のように使われて。朝いつも酒臭いし、迷惑してたし。彼女の方が俺より何処に何があるか知ってるもんなぁ?」
「やめてよ、あんたたちっ! もぉ仕事は自分で探すわっ!」
 私のために呼んだ人のお陰で、彼女にまでとばっちりをくわせてしまって、私は店を飛び出した。そのせいかどうかわからないが、引越しが終わる頃にはクラは一人になっていた。私はミズの新しい事務所で、マネージャーとして働き始めて今に至る。でも……。


「千鶴にだけは話しておくが、俺は協議離婚を考えている。まだ妻には話していないが、話せば調停やらで仕事中に連絡がつかなくなることもあるだろう。業者や職場の連中には悟られないようにやってほしい」

 その話を聞いたのは1週間前だった。奥さんの姿を見たことはないが、ミズが今の仕事を起こすときにお世話になったスポンサーの娘であることは知っていた。
 その老人は、当時ミズがあちこちで融資を断られ、10行目の銀行の待合室でたまたま出くわし、ミズの話に面白がって金を出してくれたという。やがてその孫がミズに入れ込み、老人はやんわりと薦めた。そう、やんわりとではあったが、断れる状態ではなかったとミズは言う。そして結婚し、老人は満足そうに1年後他界したそうだ。
「政略っていうか……、なんかミズらしくないわ。とても古い感じ」
 私は前に奥さんから事務所へ電話があった時、とても怪訝そうに対応されたこともあって、その馴れ初めに少し批判めいた感想を持った。
「そうか。結婚もビジネスだったと言えば、らしいとは思わないか」
 ミズは自分を蔑むように笑った。その表情から、なんとなく上手く行ってないことは察していた。家にいるときは、携帯の電源を切ってちょうだい。仕事は持ち込まないで。それが、彼の妻の言い分なんだそうだ。だからミズが携帯を送信するのは妻が眠ってから。この時間にメールが来ると言うことは、まだミズは妻に話していないのだろう。家庭内別居状態の夫婦が垣間見えた気がした。

 玄関の明かりを点け、靴を脱ぎかけているところに電話が鳴った。片足に引っかかった靴を飛ばすように蹴って、受話器を取る。
「あー、千鶴さん。携帯鳴らしてたのに出ないからぁーー」
「ごめんごめん。鳴ってるの気がつかなかったよ」
 さっきまで飲んでいた美智だった。子機を片手に部屋の明かりを点け、上着を脱いでいると一瞬声が聞き取れなくなった。
「えっ? 何、もう一回言って」
「だから、社長が刺されたんですよ。今救急車で担ぎこまれたって」

 携帯には、美智の番号の前にミズの着信が残っていた。
「……なんてことなの!」
 自分の不注意に泣きそうに鳴りながら、私はまた部屋を飛び出した。


 静まり返った廊下には、スーツ姿の男と、美智とクラがいた。
「……千鶴」
 立ち上がったクラに向かって、出てくる言葉はひとつしかなかった。
「ごめんなさい……、ごめん……、私が出ていればもっと早く……」
「大丈夫だ、直接あいつが救急車呼んで、事務所にまで電話したんだから。痛そうだったけど、大丈夫だから」
 私は、クラの言葉に油断して、つい呟いてしまった。

「……奥さん……、なのね」

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