Sunset-blues

letter 2

 外は雨だった。客足も少ない。
 カウンターで、さっきからずっと溜息をつく女性は、初めてのお客様だった。

 このような店に、女性一人で入って来る事自体、ホステスさんに知り合いでもいなければ、勇気のいることだろう。待ち合わせなのだろうか。私は、出来るだけ浮かないように、且つ邪魔にならないように斜め前に立ち、シェイカーを振った。

 からん、とドアが開く。
誰よりも先に彼女がドアを見る。が、待ち人ではないらしい。また俯き、スクリュードライバーを舐める。もう、氷の破片は姿もなく、グラスの汗も引いている。汗を吸ったコースターまでが、色を元に戻している。
「温くなってしまったでしょう、足しますか」
 声をかけると、お客様は黙って首を振った。
「何かあったら、遠慮なく」と、私は彼女をまたそっとしておいた。

 まもなく、ドアが開いた。前に何度か見たことのあるお客様だ。背広は色が変わり、外の雨の酷さを教えた。ハンカチで肩のあたりを拭きながら、その女性に向かって話しかけた。
「何?用事って」
 彼女は、一瞬ドアを入るお客様を見てすぐに俯き、グラスの一点を見ていた。
「ここ……、カクテルが美味しいって聞いたから」
 彼女は答えにならないような言葉を投げた。
「そうか……」
 彼はそれだけ言って彼女の横に座り、マティーニを頼まれた。

 私がいつもよりたくさんステアしている間も、二人は何も話さなかった。
「お待たせいたしました」
私がグラスを滑らせると、彼はグラスを持ち上げた。でも彼女は乾杯はしなかった。彼は苦笑して、口をつけた。
「何も言わなければわからないな」
 そう言ってはいるが、彼もまた彼女の方は見ない。

「何故この店を知ってるのか聞かないのね」
 しばらくして、彼女が口を開き、私は思いだした。このお客様は、前に女性とここに来ていた事を。当然、それは彼女でない事を。
「いや、誰かに聞いたのかと思ったよ」
 彼は、そしらぬ顔で答える。
「ええ、聞いたわ。美保さんに」
 彼女も無表情で答える。でも、グラスの中にはかすかな波が打っていた。

「聞いたのなら、もう話はないな」
 彼はすっと立ち上がり、2杯分の支払いをしていった。彼女はからんとドアが閉まるまで、グラスから眼を離さなかった。やがて溜息を一つして、下を向いたままグラスを差し出した。

「すみません、何か違うカクテル下さい」
「じゃ、こちらを」
「あら……。私、そんなに泣き顔?」
「いえいえ、お客様は少しも泣いてなんていらっしゃいませんよ」
少しおどけて口調にちょっと笑って、彼女はなんでレッドアイなのか尋ねた。
「この色が綺麗だからですよ」
とだけ言って、私は別のカクテルを作り始めた。
彼女は、期待した答えと違った様子で、取り敢えず一口飲み、一人の時間が抱え切れなくなったように話しかけてきた。
「ねぇバーテンさん、彼氏取られちゃったわ」


「私あの人大好きだったのに、いつも別の女の人がいるんじゃないかって疑ってた。あの人はいつもそんな事ない、他に付き合ってなんかないって言ってた。でも、いろんな女の友達とかいる人で、人気もあって、どうしても私信じられなかった。結局……、いたのよね。知ってたんでしょう? ここにあの人が女の人連れて来たの。いつ頃から? あの人には言わないから。もう……、話せないから」

「先ほどのお客様は、ここ2週間ぐらいお見かけしますね」
 私は、聞かれたことだけを答えた。
「そう……。美保さんは何もなかったって言うの。ただ、ここに来て飲んだだけって。でも、それをデートとは言わないの?」
「さぁ……。何をお話されてたのかは聞いていませんので……」
「そうよね……。今更よね……。わかってた事だもんね」
 彼女は、気丈に冷静を作っていた。

「泣けば良かったんじゃないですかねぇ」
 私はグラスの汗が滴るのを見ながら、語りかけた。

「もし、女の人がいそうな気がしてどうしようもなかったら、問い詰める前に泣いてしまえば、疑われてると思うよりも不安にさせてる事に気が付いたかも知れません。誰だって疑われたら、身を固くするでしょう。それがたとえ愛でも、意固地になってしまったら伝わらないし。泣けば、涙だって拭いてくれるでしょうからね」

 「でも……」
 彼女は、ふぅ、と溜息をついて、それきり黙ってしまった。窓の外は、相変わらず横殴りの雨が降っている。お客様の声がいつもより静かに聞こえる。もの静かに落ちついた雰囲気が、彼女の頑張りを一層辛くさせる。

「レッドアイって、綺麗な色だと思いませんか?」
 私は黙って新しいレッドアイと取り替えた。彼女が驚いて私を見上げたので、笑って頷いた。
「赤い目だっていいんですよ。みっともなくなんてないです。泣いていいんですよ、綺麗じゃないですか……」
 やがて彼女は、嗚咽していった。静かな店内に少し響いた。

 ママは私を見て、私は頷く。
「なんか、いいジャズが聞きたいわぁ、田代さんなんか好きなのなあい?」
 店内は気心の知れたお客様が何人かいて、おっ、いいねぇ、などと声がする。ママは古いレコードを探しながら1枚を取り出してセットすると、真空管アンプの青い明かりがふわりと浮かんだ。
 曲は『The Gentle Rain』。気だるいストリングとボーカルが絡むように流れる。
「いやぁ、これは踊らないと」
 常連の田代様は、ママを誘ってゆるりと踊り始めた。

 レッドアイが彼女の瞳を染めるころには、雨も小止みになっていた。
 いい夜だな、と思った。

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