Sunset-blues

letter 6

 よくお見えになる常連の田代様は、私がこの店に来る前からごひいきにして戴いている。最初に声をかけてくださったのも、常連の他の方に引き合わせてくださったのも彼だ。
 彼はお客様であると同時に、好きな音楽や細かなこと、例えば昔吸ってた煙草がミニスターだったり、同じ仕立て屋のグレンチェックのジャケットを持っていて間違えて着そうになったこともあった程、何処となく気のあう存在である。
 その田代様が、今日初めて女性の方を連れてこられた。所帯じみることなく、かと言って華美でもない「わきまえた女性」と言うイメージで、田代様と並んでいるとなんともピッタリくる女性だった。奥様だろうか。いつもはざっくばらんなママも、若干緊張しているようだ。
 私は遠巻きにではあるが、様子を伺っていた。

 梨奈さんがお客様をお送りして戻る途中、カウンターに手をつきながら小声で話しかけてきた。
「まこちゃん、あの方ね、田代さんの元奥様らしいのよ」
「ほぉ。田代様、独身だったんですか」
「まこちゃんと同じねぇ。ロマンスグレイの優雅な独身貴族」
「梨奈さん、私は田代様と違って庶民ですよ」
 別れた妻。しかし今は気の知れた友人のようだ。それもまた粋な田代様らしいと、羨ましく思った。

 梨奈さんのオレンジのオーガンジーがひらひらと揺れて視界が開けた時、私は目を見張った。田代様がママと踊っているのだ。
 折角女性を連れてきて、なにもママと踊らなくても。いささか田代様の心中を疑った。田代様の好きな「moonlight-serenade」。ママのワイン色のベルベットが、艶やかにフロアの木目に染みた。緩やかに一曲踊ると、ママは彼女と雑談をはじめ、田代様がニコニコとこちらにやってきた。
「やぁ、いい夜だ」
 田代様はそう言うとカウンターに越し掛けた。
「たまにゃ、まこちゃんがシェイカー使ってんの見たいんだがな。俺、ボイラーメーカーしか飲まないからさ」
「田代様のは、カクテルじゃなくてビールとターキーのちゃんぽんです」
 二人で大笑いしながらママを見やると、彼女と二人でレコードの棚を見ている。
「あいつもジャズが好きでね」
 田代様は私の視線に気が付いたようだ。
「元の奥様と聞きましたよ、なかなかいいご関係のようで」
「ははは、冷やかすなよ、娘の母親でもあるんだから」
 目を細め、旧友を見るように彼女の背中を見ていた、ように見えた。


「今日は、作戦を立てに来たのさ」
 田代様は、にやりと笑って私の出した水をぐっと空けた。
「作戦、ですか?」
 私は、田代様が何を企んでいるのか興味津々で、次の言葉を待っていた。でも、田代様はいきなり注文をされた。
「あ、まこちゃんさ、ビトゥイン・ザ・シーツって、作れる?」
「出来ますけど……、寝酒ですよ。ブランデー多くしますか」
「いやいや、いいんだけどさ。あれ作ってよ、2個」
 どうやら、田代様は本気でシェイクしたカクテルを飲みたいらしい。さすがに知ってる人に振っている姿をまじまじと見られるのは、試験を受けているようで気恥ずかしいものだ。
 さて、出来たカクテルを田代様が両手に持って席に戻り、2個のグラスをテーブルに置いた。ママは、あら、と言う顔をして席を立とうとした。それを田代様が制して、自ら、自分のボトルで水割りを作った。

「これは、君の」
 田代様は元奥様の前に水割りのグラスを置いた。
「これは、ママと俺の分」
 カクテルグラスのひとつをママの前に置いた。もう一つは持ったまま。
「で。合格かな?」
「ええ。きっと上手くいくと思う」
 彼女もグラスを持ち上げた。ママはサッパリ訳がわかっていない。当然私も知らなかったのだが……。

「俺も若くないしね。隣で眠ってくれる人がいた方が、なにかと安心じゃない? で、元カミさんに来てもらったわけだ。娘に逢ってもらう前に」
 ママは。
 こう言う時に素直なら、とっくに片付いているのだ。
「なによー! 何も聞いてなかったわよ? 二人で仲も良さそうだったし、てっきり戻るのかと思ってたわっ」
「ははっ、そんなこと考えてたのか? 俺には芙美しかいないの知ってるだろ。まったく信用ないなぁ」
「あの、グラス重たいんですけど」
 元奥様の冷やかしで、3人はこれからの作戦の成功を祈って乾杯した。ママの泣いてるような怒ってるような、そんな姿をはじめて見た気がした。

 しかし驚いた。私は何も知らなかった。はぁぁ、ママが田代様とそんな付き合いだったとは。私がここで働く前からなのかは、もう定かではないが、娘さんもお酒が飲める年頃らしい。歳を重ねるにつれ、ただ疲れて眠る生活から、ゆっくりと誰かと語りながら眠りにつきたくなるものだ。ベットに入ってから飲むカクテル。それを一緒に飲みたい人がママだったと言うわけか。

 まんまと彼の作戦に引っかかったママと私だったが、こんなに嬉しい企てならば、いつでも引っかかってしまおう。
 いくら美しく光っても、今宵の月はママには敵わない。

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