歪んだオセロ

vol. 1

 パズルのような陽光は、風が吹くたびにざわめき散らばる。
 その雑木林の奥深くに、陽の射す場所があった。暖かに光りを浴びて、彼女は柔らかく笑っていた。コートの袖をたくし上げ、うっすらと汗をかき、足元の耕された地面に1輪の花を置いた。

 黄色い薔薇の花言葉は、嫉妬。


「自殺、なんでしょうか」
 白いコートの女に、青いビニールシートが掛けられる。
「苦しんだ様子がないですね、警部」と、黙ったままの俺に部下が言った。
 眠っているようだった。化粧が崩れていないからか、血色も頬紅に補われて、そのまま横たわっているようだった。
 携帯が鳴る。
「松坂だ」
「女の身元が割れました……」
 俺は足早に歩きながら、その報告を遮った。
「澤田遼子、32歳。赤坂のクラブで働いてた。源氏名は瑞希。親はいない。弟が一人いる」
「どうしてそれを……」
「煙草一本ぐらい吸わせろ、あとは署で聞く」
 握り潰すように携帯を切って、車に戻り煙草に火をつけた。

「……どうせなら、ゆっくり吸えるところで死ねよ、遼子」
 俺は煙のせいにして、滲む視界をそのままにしていた。

「知り合いですか、仏さん」
 珈琲を差しだしながらせっつく部下を制しながら、俺はすっかり刑事に戻っていた。
 腑に落ちない。
 遼子の姿なのか、現場なのかは解らないが、ありきたりの現場にはない何かがある。それが引っかかって、遼子の過去を話す気になれなかった。感傷的に、ではなくて。
 こんな所があいつを結局離れさせて行ったのかも知れない。 


「松坂さん。今日は早いのね……、いつもので良い?」
 遼子、その頃はまだ瑞希であったが、パールピンクのドレスが、開いたばかりの店の中で大輪の花のように咲き誇っていた。
「良い色だ、よく似合う」
 山崎の12年が、グラスの中で波紋を描くのを見ながら、俺は思うままに言ってみた。顔を見て褒め言葉を言うほど、女は得意じゃない。遼子はいろんな男を見てきたからだろうか、俺のような奴に興味を持ったようだ。
 それから、瑞希は本名が遼子であり年の離れた弟がいる事、その弟と別れた妻が連れていった俺の娘が同い年である事、弟を大学に行かせるために水商売をしている事など話すようになった。
「そんな事言ってるけど、水が合ったのよ、この仕事」
そんな影のある遼子の語り口調は、こんな仕事の俺を慰めていった。
 
 遼子は、非番になると家に来るようになった。男一人で昼も夜もない仕事をしている俺にとっては、雑多な事をしてくれるのはとても助かった。彼女は仕事前なんだから適当でいい、と言っても「孝さんはゆっくりしててね、あとで相手してあげるから」と茶化す。遼子29歳の春だった。


 訝しげな顔をしている俺を見て、部下は聞くのを諦めたようだ。代わりに、特捜の柴田がやってきた。
「瑞希ちゃんだって? 仏さん」
 同期のあいつも、遼子目当てによくあの店に行った口だった。家に来ている遼子を偶然見られて、相当悔しがられた。
「この時期に腕まくりなんてするか? 服が汚れるなんて考えるだろうか」
「……綺麗な仏さんだったそうじゃないか、綺麗に死にたかったとか」
 問いに答えずに問い返すと、あいつもしばし考えたあと、やはり答えにならない感想を述べた。コートの下は真っ赤に染まっていたし、ナイフを握った手も血で汚れていた。胴を真っ赤にしても袖だけは、とは言いがたい。決して綺麗な死に方とも言えない。相当痛かったはずだし、そこまでして自分を殺したいという意志も感じられない死に顔だった。

 いつだって遼子の考える事は、俺には解らない。


 遺体の引き取り手として探し続けた弟がようやく見つかったのは、遼子が遺骨になってからだった。送金先の銀行まではすぐ解ったのだが、登録している住所には、住んでいなかったからだ。

 その哲哉という男は、遼子から聞いて想像していた人物とは、大きく違っていた。
たった一人の肉親。年の離れた可愛い弟と言うよりは女を働かせて遊ぶ、ヒモのような奴だった。
 事実、姉の死を聞いた時、動揺したようには見えたが、最初に出た言葉が「困ったな……」だったと、捜査員が不機嫌そうに言った。遼子が不憫だった。肉親の手向けの言葉がそれでは、彼女は浮かばれないではないか。その怒りと悔しさの中で、俺は釈然としないものを明確にすることに決めた。

 遼子は、他殺だ。

 結局、哲哉は墓もないし、建てる金もないし、持って帰ってもそのまま放って置くおくような事を言ったので、俺が連れて帰る事にした。
 哲哉は何故俺が持って帰るのかを聞かなかったが、俺は奴の胸座を掴み「お前が殺したようなもんだ」とだけ言っておいた。哲哉の顔色が蒼白だったと後で聞いたが、その時の俺は気付きもしなかった。


 遼子が来なくなってから散らかるまま散らかしていたが、居場所だけは作り、遼子が昔くれたショットグラスに水を入れた。弁当を買って帰った時は、ビールを飲む間遼子の前に置き、飲んで帰ったときは「ただいま」とだけ言った。
 そんな生活が2週間過ぎた。

「やっぱり自殺じゃないっすかぁ、警部」
 相変わらず、容疑者を特定できないまま、署内でもそんな声が出始めた。だが、俺の中にはもう遼子と言う人物が出来あがっていて、意識的には弔い合戦の様相を呈してした。
「現場へ行ってみる」
「警部! ヤマはこれだけじゃないんですよ!」
 部下の声を背中に、俺はもう一度車を飛ばした。

 新緑の木々を潜りながら、現場へ歩いていく。遼子を見つけた時とは、すっかり様子が変わっていた。日差しを通したそのあたりは明るい緑の光りが満ちて、とてもここで死体が発見された場所とは思えなかった。

「たしかこの当たりだな……」
 俺は、遼子の横たわっていたと思われる所に立ってみた。
 もう、ひと月近く立つのか、お前が逝ってから……。この世にお前がいないことを、そろそろ実感しなければいけない。ふと、足元を見ると青い花が咲いていた。手向けの花か。じっと見ていると……、事の異様さに気が付いた。

 もしや、耕されていたのか?

 固くなった地面では、どこにも花なんて咲いていない。
遼子とのいた所にだけ、その小さな花が咲いていた。

 1時間後。青いシートが、また一人包んだ。

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