歪んだオセロ

vol. 6

 涼子に証言はさせるのは危険過ぎる。せめてあのビデオが見つかれば、きっと桐原の声も入っているはずなのだ。でも、それを特捜に言えば、涼子は恐喝されてたとは言え共犯だ。
 俺は、遼子を殺し、涼子を苦しめる犯人を捕まえることが目的だ。彼女の勇気を特捜に売ることは出来ない。
 林田の針……、もしや。

 俺は特捜に無断で、佐藤に志穂のアパートを張り込ませた。あの操り人形が、何か握っているに違いない。携帯に佐藤から連絡が入った。
「先輩、林田が来ました」
「よし、そのまま……」
「あれ……、なんか車どけろって言ってますんで、ちと動かします……」
 そう言ったか言わないかの間に、受話器から銃声が聞こえた。
「佐藤っ! 大丈夫かっ! 佐藤っ!! おい!!」
 俺が独断で行かせたのだ。もしものとこがあったら全て俺のせいだ。無我夢中で車を走らせた。到着するまで全く記憶がないほどに、俺は覆面車で飛ばしていた。
 無事ていてくれ、佐藤よ!


「大丈夫っすよ。この事件やるようになってから、常時防弾チョッキ着用も命令だし。やー、先輩に心配していただけるなんて、光栄っす」
 ピンシャンしている佐藤を見て、俺は心配したことすら惜しくなった。佐藤は携帯を車に放り投げて、銃声の方へ走って行ったのだそうだ。全く、銃のあるほうへ向かっていくなんて、顔を打たれたらどうするつもりだ。ほんとにめでたい奴だ。

 しかし、事態はまずい事になった。打たれたのは志穂だった。幸い一命は取り留めたが、意識が回復するまでかなりの時間がかかりそうだった。搬送された病院に行くと、バーテンダーが来ていた。浅葱色のアスコットタイが、銀髪に寂しく映っている。肩を落とす彼と、喫煙所に向かった。
「松坂さん……。瑞穂さんばかりか、志穂さんまで……」
 彼は小気味よい音を立てて、バーテンダーは年代もののジッポを付け、俺は会釈して火を貰った。
「すみません。……俺が瑞希をのろのろ探している間に、犯人はどんどん逃げていきます……」
 無意識に取りだした煙草を見逃さないスマートな洞察力に、こちらのほうが癒されて、つい弱音を漏らしてしまった。
「こうやって志穂さんが狙われたと言うことは、松坂さんが犯人を追い詰めている、と言うことですよ。あなたを瑞希さんに逢わせたくない奴がいる……。どうですか、手持ちの駒を、もう一度見直しては」
「貴方なら、何か見ているはずだ。あの店で瑞希が誰と会い、誰にシャブ漬けにされていたか」
「知っていたのですか、薬の事。ショックかと思って黙っていたのですが……。薬は志穂さんが渡していました。仲が良かったのではなく、志穂さんから薬を貰わないと、どうしようもなかったのです」
「志穂は誰から」
「オーナーです」
「あの店のオーナーって……」
「実質上のオーナーは村上さんでした」
 ――村上。つまり、遼子はオーナーを埋めたのか。
 何の為に。
「さぁ……。ただ、瑞希ちゃん密かに病院行ってたんです。絶対止めるって話してくれました。彼女に正義があったことは、どうか解ってやって下さい」
「はい。そんな女じゃない事は、良く知っていますから」
「良かった……」
 バーテンは自分の煙草にも火をつけた。
「確か、瑞希ちゃん志穂さんに言ってました、これで本当にやめられるのかって。あれ、店のことだと思ってたけど、薬の事だったのかも知れない。これで孝さんに逢えるって、はしゃいでいたから……」

 遼子は何も知らなかったのだ。俺を葬ろうとした奴らに自分が蝕まれていったことを。ただ、あの店を辞め、しばし身を隠すことが俺の為だと、水商売の女が彼の近くにいては出世の邪魔になると言い含められ、偶然のように襲われ、シャブ中になり、ますます俺に合わす顔がないと身を隠していった。
 でも、どこかで探して欲しいと思っていた。迎えに来て欲しいと。そんな遼子の思いも知らず、自棄になった自分……。
「最低だな……」
「そんな事ないですよ。一番誰が悪いのか、判ってるでしょう」
 ――自分の儲けだけの為に、邪魔な奴をとことん追い詰める。許せない……。


「志穂の部屋からは何も出なかったのか」
 佐藤は大きく首を振った。
「よくまあ、あの騒ぎの中で物色しましたよね、出なきゃ始めからなかったのか」
「いや、絶対何かあったはずだ。シャブか、或いは……」
 ビデオの事は言えない。でも、手がかりになるものぐらいはあってもいいと思った。大家に連絡を取り、部屋に入る。大家は嘆いていた。
「あんな騒ぎがあっちゃ、誰も入っちゃくれませんよ」
「その後誰か来ましたか」
「ええ、若い栗毛の女の子が、バックを取りにね。入院してる先に届けるって言ってましたよ」
 ――若菜?


「うんうん。そーなの、志穂の彼氏って人から電話あってさ。最初疑ってたんだけど、志穂の事とか良く知ってるし、ラブラブのプリクラ見せられちゃってー。待ち合わせして、渡したよ」
 プリクラは想像がつかないが多分林田だろう。志穂はあらかじめ隠し場所を誰にも言ってなかった、という事か。
「ちらっと、バックの中とかさ、どんなの持ってんのかなーとか、覗いちゃったりしなかったかな」
 少々大袈裟に、バックを覗き込んで何かを取りだしてマジマジと見るような仕草をすると、若菜はケラケラと笑いだした。
「松坂さんって案外お茶目さん! もぉ、誰にも秘密よぉ?」
 若菜はピンクのハンドバッグから、小さな香水ビンを取りだした。
「これね、前に無くしたと思ったらさーあー、志穂さんのバックに入ってたのよぉ? パリで買った一点ものだったんだから、間違いなく私のなのに。全く、自分のものみたくしちゃったのか、なんか底に書いてあんの」
 その色着せガラスの淡いピンクのビンは、アンティーク調でスプレー出来るように小さな布のポンプがついていた。
「書いてあるって……」
 底を見ると、何やらアルファベットのような数字のようなものが書いてあった。
「これは……、若菜ちゃん! お手柄だ」
 目を丸くする若菜の手を取り、握手をしながら俺は頭を下げた。
「……なんだかわかんないけど……。これで瑞希ちゃんの為になるなら、嬉しいわ……、私……」
 若菜は少し涙ぐんで、呟いた。
「私……、瑞希ちゃん、大好きだったもん……」
 遼子はあんな連中のやる店の中でも、こうして慕われていたのだな。バーテンダーも、若菜も、遼子の元へ導いてくれる。
 もう少しだ、遼子。


「コウさんの読み通りだ。凄い事だぜこれは……」
 書かれていた番号は、加藤の貸金庫の番号だった。そこには、今までの麻薬取引で得た金銭の他に、隠し帳簿らしいディスクが眠っていた。そして、忌まわしいビデオ――、ただ、ビデオには涼子しか映っておらず音声は消されていた。
「結局は、加藤も桐原を信じ切っちゃいなかったと言うことか」
 柴田は銀行で、俺からの連絡を待っていた。

「わかったわ。志穂さんが目を醒ましたと言えばいいのね」
 涼子は、少し声を震わせていった。かなり危険な賭けだ。
「すまない。嘘をつかせる事になるが……、俺を信じて欲しい」
「これで……、私、救われるのよね。守ってくれるのよね……」
「大丈夫だ。涼子」
 俺は、自分に言い聞かせるように繰り返す彼女の肩をそっと抱いた。

 このRYOKOだけは、俺が守る。どんなことがあっても。

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