歪んだオセロ

vol. 5

 客の入る気配とともに、志穂はチラッとドアを見ると、予想通り林田だった。志穂の護衛なのか、余計なことを言わないように見張りに来たか。
「どうかされましたか」
「いいえ。瑞希はいいホステスだったと言うことです」
 志穂は落ち着きを取り戻し、と同時に言葉遣いが丁寧になった。と言うか、選ぶようになった。
「仲は良かったんですよね」
「ええ、いつも買い物とか一緒に行ってたし……。貴方の事も聞いたわ」
 志穂はにやりと左頬で笑ったが、その割りにどんな客が店に来ていたか、そして瑞希、つまり遼子についていたかという目ぼしい情報は全く言わなかった。解ったのは志穂と林田がつながっているという周知の事実だけだった。

 車に戻ると佐藤から電話が入った。
「先輩、林田、志穂のアパートに入ったっす」
「そうか。志穂は事件の事知ってるぞ、注意してみてくれ」
「はいっ、解りました!」
 あまりの大声に耳が痛くなったが、特捜の癖にしっかりこっちの協力をしてくれるんだから、ありがたいと思わなければ。
 しかし、だ。
 遼子が何を知り、消されたのか。その動機が全く掴めない。もう1度、志穂に会わねばならない。しかも林田がいない時に。

 柴田は俺を見つけて、小声で言った。
「たのんますよぉ、佐藤持ってかないでくださいよ、コウさん」
「すまんな、助かってるよ。で、どうなんだ桐原」
「どうやら入院だ。例の女医が秘書と打ち合わせしていた様だ。2.3日中には雲隠れってことさ。ちっ」
 ……雲隠れ、か。いや、案外しっぽは出しやすいし、邪魔も入りにくいかも知れん。あくまでも担当医師の協力が得られればの話だが。

 桐原は入院した。当然、マスコミには伏せたままの入院だ。刑事として行けば、病院側も受け入れてはくれないだろう。
「松坂と言えば解ります」
 俺は直接桜井医師を訪ねると、彼女は上目使いに睨んだ。俺は少し焦った。
「やあね。どうせ桐原さんのことでしょ? 私宛にくるなんて、狡いわ」
 用件を切り出そうとしたとき、遠くから看護婦の声がした。
「涼子先生、鈴木さんが急変しました、早く来てください!」
「りょうこ?」
「ええ、桜井涼子。字は違うけど彼女と同じね。ごめんなさい急用だわ」
 彼女は白衣を翻して去って行った。

 もう一人のRYOKO、か。


 あのアジトにもう一度行ってみようと思ったのは、桐原が入院して別荘の監視が薄くなるだろうという他に、遼子の現場の事を思い出したからだった。全く解らなかったものが時間が経つと花を咲かせたりするなら、あの時追い詰めてあと1日という所で握り潰されたチャンスが、今、花を咲かせているかもしれないと無性に思えたのだ。

 車を飛ばし、蓼科の山中に着いた頃には夕方になっていた。かなり荒れ果てている。どうやら、あの日以来ここは使われていないらしい。トランクの中からバールを取り出し、鍵を叩き壊すとドアごと引き裂かれた。蜘蛛の巣を払いながらギシギシと薄ぐらい部屋を歩くと、夕日で真っ赤に染まった部屋が見えた。
 誘われるように入ると、朽ちかけた応接セットが置いてあり、西日に当たりすぎて、皮のソファにはひびが入っていた。背もたれに手をかけた時だった。

 みしっ、と言う音と共に背もたれが傾き、割れた革の間からきらりと光るものが出てきた。
「針……。ここで使ってやがったんだ」
 それは、遼子が発見された時のように日を浴びていた。
 ――私を探して。
 そう、遼子が言っているかのように。

 車中で一泊し、柴田たちが到着したのは朝8時過ぎだった。
「意外と早かったな」
「そらぁ、ヤクの手掛かりとありゃー、こっちも必死だぜ」
 俺は、桐原の別荘の近くと言うこともあり、用心の為にサイレンは鳴らさず、鑑識員も腕利き一人にしろと注文した。同年代らしき職人気質を感じる鑑識班の男は、薬物用の7つ道具の他に別の鞄を持って来ていた。
「その鞄は何に使うんですか?」
「ルミノールですよ。注射してたなら、血液が飛ぶかもしれないでしょう」
そして狙いは当った。見事に発光したのだ。

 当然、涼子は医師として拒否した。
「当たり前じゃないですか! そんなの人権蹂躙です。第一、なんで私の患者のDNAを渡さなければいけないの?」
「そうですか……。じゃ勝手に採取するしかありませんな。毛髪でもなんでも」
 病院の廊下で、桐原の病室に歩き出した俺の背中に、医師は呟いた。
「あなたのしていることは捜査じゃなくて、報復だわ……」
 刑事の勘が、彼女の言葉を捉えた。

「桜井さん……、前から私のことを知っていましたね?」
 彼女の顔が、凍りついた。


 幸いにも翌日、彼女は休日だった。

 こわばった表情を見た時点で、彼女にも加藤の目が光っていること、病院で話を聞くのは危険だと判断した。しかし、彼女の協力がなければ長年追い続けたこの事件の核心に届かない。
 卑怯な男どもの監視をかわし、彼女を安全に説得できる場所を確保するために、俺は馴染みのビストロの個室を押さえた。用心のために店の車と白衣を借りて、佐藤に取りにいかせ、翌日は白衣を着てその車で乗り付けて、裏口から店に入った。
 店にはヤクザ絡みでは渋ると思い、ストーカーに追われている女なのだと説明してあった。
「道理で。丁寧過ぎだったわ」
 彼女に話すと悪戯っぽく笑った。この笑顔にはいつも焦る。
「今日は俺も非番なんでね、まぁ世間話ってことで」
「尋問は覚悟してきたから大丈夫。料理が不味くならない程度にお願いね」
 キャンティロッソの色が、彼女の口紅に重なった。

「安西さんが別荘で体調を悪くしたって言われて、往診に行きました」
 彼女は、カルパッチョを取り分けながら何気に話し始めた。
「診察している時に林田って人が入ってきて、明日は中止だと伝言に来ました。私は何の事か知らなかったけど、何かか中止になったんでしょう。そのときに「松坂が嗅ぎつけた」と何度も言っていたんです」
 俺は3年も前の話を実に鮮明に覚えていることに疑問を抱き、淡々と語る彼女の表情につい油断して聞いてしまった。
「何故そんな前の話をはっきり覚えているんですか」
 彼女は俯き、口を噤んでしまった。
「あ……。不躾でしたか。すいません。答えなくていいから」
 言ったがすでに遅かった。
 彼女は涙を噛み殺しながら、震える声で言った。
「……松坂さん……。私を守ってくれますか……」
「――必ず」

 それは知りすぎた彼女を縛りつける、忌まわしい出来事だった。
「私に薬を……。そして、錯乱している間に……。その様子を……」
「もういい。そのビデオは桐原が持っているのか?」
「桐原と、加藤がそれぞれ持っているのです。どこに隠しているのかは……」
「そうか。今も薬を?」
「いいえ。往診の度に渡されますが、打っていると嘘をついて」
 ……その為の往診だったのか。

「実は……。彼女……、遼子さんも、薬物反応があったんです。……でも、言うなと脅されて……」
「このままにはしない。絶対君を助け出す」
 彼女は嗚咽しながら、桐原の血液を差し出した。医師としての守秘義務、身の危険、思い出したくない事件と現状。昨夜からここにくるまでずっと、苦しみながら繰り返し自問した末の、正義の試験管だった。
「ありがとう。もう大丈夫だ。俺がいる」
 差し出した手を握り締め、彼女に誓った。もう一人のRYOKOまで、奴らに踏み付けにされてたまるか。あの連中への憎悪が頂点に来ているのを感じていた。


「桐原自身は、薬物をやってはいませんね。ただ……」
 検査結果を見ながら、鑑識員は告げた。特捜にいた全員が、続きを聞きたくてじれている。
「あの部屋にあった毛髪の中に、桐原のものがありました」
「よし! これでヤクと桐原は繋がったぞ!」
「水を差すようで悪いが、まだ弱いぞ」
 俺が言うと、柴田はキレた。
「なんでだ! ヤクが出て、針から林田の使用だと解ったんだ。それで桐原の毛髪が出て、どこが弱いんだよっ!!」
「あのなぁ……。あそこは廃墟だったんだ。桐原が使ってたものを加藤に払い下げたとしても、ビジネスだと言われりゃ終わりだ。林田一人がぶちこまれ、桐原は尻尾切りで知らん顔だ。同時にその場所にいた証拠はないんだ」
 特捜の連中は、出鼻を挫かれて苦虫を噛み潰していた。相手は桐原なのだ。一筋縄ではいかない。

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