Sunset-blues

letter 9

 ゴールデンウィークはさすがにお客様も来ないので、この店も毎年閉めている。ママは先日の一件で黒いドレスの彼女と友情を取り戻し、今年は墓参りを兼ねて小旅行をするらしい。さて、私は。
「まこちゃん、どうせ暇だろ? たまにゃおてんとうさん浴びてゴルフでもしねえか?」
 田代様はそう言うのだが、どうせギリギリになってママの荷物持ちになるのは目に見えている。
「ゴールデンウィークの間だけ、隠れ家的BARにしてみるってのはどうですか」
 石田様にいたっては副業を焚きつける始末。私だってさすがに休日は休みたい。

「いらっしゃいませ」
 カウンターに座ったお客様は、見覚えはある気がするのだが、しばらくお見えになっていなかったので、どうしても思いだせない。やれやれ、やきが回ったものだ。お客様はベッコウのフレームの眼鏡を触りながら話しかけてきた。
「マッカラン12年ください。そういえば、楓さんって見ませんね」
 楓さんはこの店でホステスとして働いていたが、今は郷里で昼の仕事をしている。東京を去らねばならなくなった理由は、ストーカーによるつきまといだった。このような商売をしていると、来てくれるお客様に心地良くなって戴くのが仕事であるのに、それを自分への特別な好意だと思いこむお客様もいる。確かにお客様とめでたく一緒になったホステスさんもいるのだが……。
「楓ちゃん、引越した方がいい。知り合いのマンション紹介する」
 常連の探偵事務所の方も心配して声をかけてくださっていたが、顔も見えない誰かの無言電話は日に何度も来るようになり、もはや完全な男性不信になってしまった。到底この仕事が勤まるはずもなく、憔悴しきった彼女は里へ帰った。

 しかし。楓さんは、ほんの2ヵ月しかこの店にいなかった。このお客様はそれ以来おいでになってないということになるが……、彼女の近況をいう事を躊躇した。
「楓さんは辞めちゃったんですよ、もう1年も前に」
 私は、そう言うとなんとか記憶を呼び戻そうと、気付かれない様に彼の話し方や、手や、ありとあらゆる所をチェックしていた。
「ふぅん、そうなんですか」
 彼はそんなこと解ってる、と言うような気のない返事をして、それ以上の情報がないか探っている様にも見えた。根拠はない。先入観を持ってしまっただけだ。それはバーテンダーとしては失格なのかもしれないが、ひとことで言うなら……、臭うのだ。
「やぁ……、ゴールデンウィークでしょ。うちも10連休で休みもてあましそうだし、旅行でも行こうかと思ってね。そう言えば、ここの楓さんって確か長崎だと思ったものだから、何処かお勧めでも聞こうかと。それだけの事なんですよ」
 明らかに誘い水である事は、長年カウンターの中で人と言うものを見てきた経験で解る。どうやら彼は、私を挑発してしまったようだ。

「何かお作りしましょう」
 グラスを下げるとネクタイを少しだけ緩め、新しいグラスを滑らせながらその卑屈に笑う男と対峙した。
「彼女ストーカー被害にあったようなんですよ」
「ああ、そんな事言ってましたね。不気味だって」
 彼は臆する事なく返事して、そのグラスに口をつける。そして、少し驚いた。そう、グラスの中身はジェムソン。
「まだ犯人は見つかっていないらしいんですが……。彼女は投げ込まれた手紙をビニール袋で保管していると言ってました」
 彼はようやく私が言わんとしている事が判ったようだ。酷く落ち着きがない。
「ゴールデンウィーク……、長期に取れるなんて、結構大きな会社にお勤めなんですか? 今時、連続で取れる会社も少なくなってますからねぇ」
 私は思いだしたのだ。彼は某広告代理店に勤めていながら、その歳でまだ主任クラスだった。よく愚痴っていた。上司は無能だ、まったく解っていない。僕はこんなところに甘んじている人材じゃない。私は、そんな攻撃的なことを言いながら、批判しか出来ない彼を疎ましく思っていたし、出来ればご遠慮戴きたいと思っていたのだ。

 ――当時の彼は、いつもアイリッシュのジェムソンしか飲まなかった。

「楓さんの事を考えれば、ストーカーには捕まってもらいたいものです。彼女の受けた心の傷を、まだ犯人は解っていないんですからね。せめてそれと同等の、社会的制裁を受けるべきです。ね、井崎さん」

 後日、楓さんの所にあった手紙の指紋と、私の下げたグラスの指紋が一致した。会社からの圧力があったのだろうか、3面記事にも載らないような逮捕であった。もてあますようなゴールデンウィークなど、彼には相応しくないと思った。
「犯人を知ったとき、なんとなく予想が当たった気がしました。これで怯えずにすみます。ありがとうございました。こちらにも是非、遊びに来てくださいね、大皿料理ご馳走します」
 楓さんからの絵葉書には、清清しい長崎の島々の景色が広がっていた。

 よし。これで私の予定は埋まった。

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