恋話

scene 9 ― 26age

 その人は、会社の先輩だった。
 社員旅行でも、忘年会でも、いつも悪ふざけをいる人で、どこかで大笑いをしていたり、口論をしていた。話す機会もなく、遠巻きにただ変な人だなぁと思っていた。しばらくして、若い連中だけで誰かの誕生月に飲もうと言う話が持ち上がり、一人2000円ずつ包んで祝儀袋に詰め、後は単なる飲み会をするようになった。その中に13歳年上の彼も何故かひょっこり入っていて、口を利くようになった。

 なんとも、癪に触る物言いをする人で、そして理知的だった。いつも口喧嘩をしていた。でも、いつも話していた。私がたしなめる事も、彼が説教する事もあったが、嫌いになる事はなかった。ある日、あんまり面白がって小さな嘘ばかり繰り返すので言ってみた。
「そんなに嘘ばっかついてると、誰も信用してくれないよ」
そうすると彼からこんなセリフが帰ってきた。

「信じる信じないは他人の勝手だろ、信じられないからって俺のせいにするな」

 単なる買い言葉かもしれないが、私にはとてもカルチャーショックだった。人は誰でも信じてもらう為に、誠意を持って対するのだと思っていた。そんな風に、他人の評価よりも自分を信じる人をはじめて見た。その強さと、冷たさと、寂しさを、総てひっくり返してやろうと思った。

 当時まだ会社にやっとパソコンが入ったぐらいの時期に、彼は自分のパソコンを買った。うちに見に来いというので行ってみた。行けばいつも同僚の女性の話をする。だったら彼女を呼べば良いのに、いつも私に来いと言う。
「ほんとはお前じゃなくて、あいつが良かったんだ」
 はじめて彼の部屋に泊まった時も、私にそう言い放った。いつも彼の部屋を出る時は、悔しくて泣けた。

「俺はしっぽ振ってくるものにしか興味がないんだ」
「嫁にもらうなら、多少ブサイクの方がいいって言われた」
 そうやって、私を小ばかにした言い方をした。反論すると、逆に説教された。
「バカだなぁ、男のいう事にいちいち噛み付くな。はいはいって笑っときゃいいんだ。お前は剃刀みたいに切れすぎて困る。鉈(なた)になりなさい。静かな鉈に」
 甘い言葉は一切言わなかった。

 結局、私は、耐えられなくなった。いつか私を選んでくれると、信じることに疲れてしまった。先は見えないと思った。好きだと言われたことは1度もなかった。
「お前にはあんな奴が一番似合うさ」
 私の結婚が決まった時にも、彼はそう笑った。

 今でもばったり会えば、お茶したり、ご飯食べたりするけれど、いくつになっても孤高が似合う人だ。他愛ない話で大笑いしながら、目の奥は鋭く、心の氷を溶かすことはない。
 あの時、私を愛していたのかどうかは、謎のままでいい。

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