モニターが映すもの

ネットを繋ぐまでは
職場の数名の同僚と
地元の飲み友達と
手のひらに乗る程度の世界の中で
それはそれで毎日を過ごしていました。
 
ネットを向こう側にいる人たちが
顔の見えない代わりに
言葉を見せてゆく世界には
いろいろなコトがありました。
 
心ない言葉を吐かれた事がありました。
暖かい言葉をもらった事がありました。
上手く伝わらない事がありました。
誤解していた事がありました。
言葉だけを信じて裏切られた事がありました。
 
そして、言葉から恋を見つけました。
 
顔が見えないから嘘をつくことも出来るでしょう。
顔が見えない分心を見せることも出来るでしょう。
なんでもダイレクトに引きうけて
その度膝を抱えて閉じこもるから
大切な友達は
「君は強そうで弱いからね」と声をかけてくれます。
そんなとき、自分はネット向きではないな、と思います。
 
ネットの上には
現実ばかりが転がっている訳じゃありません。
せめて、と言う名のもとに
理想も虚構も願望も偽物も
まことしやかに並べられています。
 
その中で
「これは信じられる」と自分が思った時点で
それは賭けなのかも知れません。
たとえそれが事実でなくても
せめてもの理想、と言われてしまったら
許されてしまうのがネットという世界だから。
 
テレビのように
モニターの中で繰り返されるものは
全てが報道番組ではなくて
ドラマもあれば、やらせもあるんでしょう。
 
それを全てドキュメンタリーだと思うから
苦い思いをするんだと
したり顔の私が見下ろす日もあるけれど。
そんな事、リアルだってあるんだと
知った顔の私が言い聞かせる日もあるけれど。
 
それでも私は相手がどう思うかを
最初に考える人でいたいです。
それが、傷を負った人間が学習すると言う事だから。
綺麗ごとかも知れないし
配慮を思い込みだとせせら笑う人もいるけど
自分がされたくない事はしたくない、それだけです。
 
そして
だからこそ愛してくれる人がいる事に
胸を張っていいんだと
爪の先ほどの自信を奮い立たせています。


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